「新しい学校中心主義」~学社連携について⑤

 学社連携について4回に渡って考えてきましたがこれが最後です。

 学社連携―「子供たちの教育は、単に学校だけでなく、学校・家庭・地域社会が、それぞれ適切な役割分担を果たしつつ、相互に連携して行われることが重要である」―という理念は高邁すぎる夢でした。もちろんしっかりとして協力的な保護者も、積極的に学校に関わろうとする地域の人々も少なからずいました。しかし大半の保護者は忙しく、地域の人々は学校に無関心だったのです。

 考えてみれば私たち自身、保護者としては忙しく、また地域社会の一員としても(自分の子どもたちが卒業してしまった地元の学校に対しては)まったく無関心なのです。家庭はともかく、地域社会の人間として地域の子どもの教育に当たれといわれても困惑するだけです。

 学社連携の試みがどれもこれも長続きしない背景には、そうした普通の人間のありようを計算に入れなったという事情があります。強固な存在としては、すでに失われてしまった地域共同体を前提にしたため何もかもうまくいかないのです。

 しかしこの3月11日の事件は、私たちの地域共同体がまだ死にきっていないことを教えてくれました。それと同時に、最後の寄る辺はそこにしかないことも知らされました。(そうでない場合もあるかもしれませんが)ときに政府なんて何もしてくれないのです。
*一ヶ月たっても温かいご飯を食べられない避難所がものすごく残ったことに、私は今でも腹を立てています。

 そうだとしたら地域共同体は何が何でも守らなくてはなりませんし、既に存在しないなら再構築しなくてはなりません。そしてそのしごとができるのは、もはや公民館と学校しかないのです。

 学社連携は最初、民間の知恵を学校に活用し学校を再生させる方策として始められました。しかし今や、学校の機能を活用し、地域を再生する方策として機能させようとし始めています。そしてもしかしたら、最初からそれが本筋だったのかもしれません。

 先日の「○○村 夏・すいか祭り」でステージに立ったのべ26人中16人が、本校の職員か生徒でした。文化祭・地域コンサートもしかりです。

 もう学校の支援なしには、地域は存在できなくなっているのです。たいへんですが、他にやる人がない以上、地域の再生もまた、私たちの仕事なのです。