カイト・カフェ

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「Mさんのこと」~中途半端な心理学通が判断を誤る話

 長く教員をやってくるとさまざまに思いを残す子がいます。Mさんもその一人です。

 小学校5年生で担任し2年間教えた女の子ですが、最初から非常に難しい子だという引継ぎを受けていました。

 とにかくエキセントリックで、一旦“キレル”と手の施しようがないのです。ほとんどの場合なにが契機だったのかも分かりません。突然目が据わったような感じになり、どんな呼びかけにも応えず、教室や体育館の隅にうずくまって動こうとしません。放っておけばいつか気分を変えることも分かっているのですが、だからといって何時間もほったらかしにするわけにも行きません。誰かがそばについていて、ゆっくり気持ちの変化してくるのを待っている他ありませんでした。

 よく爪を噛む子で、口の前で両手をそろえて握り、まるでトウモロコシを食べるように手を動かしてすべての爪を噛むので、指先はいつもボロボロでした。勉強は、比較的よくできる子でしたが、まずは平凡といったところです。

 最初のうちは本当に困ったのですが、それでも何ヶ月か経って対応を心得るようになると状況はどんどんよくなり、6年生になるころには「ああこれであまり心配もせずに中学校へ出せる」と思えるようになりました。私自身、自分の学級経営に満足していました。ところが2学期になると突然状況は悪くなり、元の木阿弥に戻ったかと思うと冬に差し掛かるころには誰の目にも危険で、もう学級担任の一人に任せておける状況ではなくなってしまったのです。保護者に聞くと、そのころには寝ている最中に暴れたり泣いたりして手に負えないところまで追い込まれていました。

 父親は家族想いですが仕事に忙しく、ほとんど家にいません。教育熱心な母親と非常に優秀な二人の兄、しかし本人は平凡。そんなところから私はありふれたストーリーを思い浮かべていました。しかし「家庭に問題がある」と担任が言えば反射的に身構える保護者も少なくありません。ここはひとつ外部の手を借り、外の人から言ってもらうほうがいいと考え、その子にふさわしい女性のカウンセラーを探して相談をかけました。しかし結果は驚くべきものでした。

「この子はLDです。耳から入った情報を保持できません。例えば“2・8・5”と三つの整数を覚えさせてそれを逆に言わせても、悲しいほどできません。この子の生活のすべては、LDへの対応のまずさから始まったものです」

 そう言えば算数の答え合わせのとき、この子は私のペースについて来れずによく聞き返していました。それも半分ふざけたような、半分からかったような調子で聞くのでしょっちゅう叱っていました。しかしその時どき、この子は聞き取れない自分を見破られないよう、必死に隠していたのです。LDだと知っていれば対応など楽なものです。黒板に答えを書けばいいだけだったのに、私はそうしませんでした。家庭に問題があったのではなく、私にあったのです。

 まだLDという言葉さえ耳慣れない時代のことです。しかもそれは学習の困難というだけであって、生活や行動に深刻な影響を与えるといった知識もありませんでした。その点では自分を許してやってもいいような気もしますが、取り返しのつかない2年間を送らせたことには違いありません。今もその時のことを悔やんでいます。

 このMさんと、同じ教室にいたK君、二人に出会ってその対応に失敗したこと、それが私を発達障害への勉強へ向かわせた大きな契機です。二人は私に素晴らしいものをくれました。

 しかし私は彼らに何もあげはしなかったのです。