カイト・カフェ

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「女性はそこまで弱くない」~と言えばセクハラかな?

 パワー・ハラスメントという概念は良く分かります。「上司−部下」あるいは「教師−学生」といった関係はある程度絶対ですから、より権力を持つ者からの嫌がらせを立場の弱い者が我慢しなければならないという状況は大いにありうることです。

 セクシャル・ハラスメント(性的嫌がらせ)も元はこのパワー・ハラスメントをベースとしており、「より強い立場の者が、その立場を利用して行う性的嫌がらせ」だったはずです。しかしやがて拡大解釈され、とにかく性に関わるすべての言動がセクシャル・ハラスメント(以下「セクハラ」)です。しかしこれはいかがなものでしょう。

 例えばウィキペディアはことさら気を遣ってセクハラ事例のトップに「女性従業員による、女子トイレでの、男性従業員の容姿や恋人関係などに関する噂話」を持ってきていますが、この場合、容姿を誉められた男性が不快に思うはずもありませんから、セクハラ事案は女性従業員とブサイクな男性の間にしか発生しません(女子トイレでの会話がなぜ外に漏れたかという問題は別にします)。つまり誰が語られたかが問題なわけです。

 同じように、ウィキの別項目「性的魅力をアピールするような服装やふるまいを要求すること」も、要求した男性が恋人だったらまったく問題のない場合もあります。つまり徹底的な主観主義で、誰かが「不快だ!」と叫んだ瞬間に、セクハラ事案は発生する、判断はすべて相手に委ねられているわけです。こうなるともう怖くて気楽な会話などできなくなります。

 私たちは同時に、児童生徒との関係で訴えられる危険性を常に考えておかねばなりません。
(ちょっと回りくどいことを言っています)

 実はこの文章を書き始めたときに頭にあったのはセクハラではなく、児童買春の問題でした。もちろん児童買春は悪いことに決まっていますが、ほとんど自動的に買った側が『加害者』で売った側が『被害者』になる「児童買春、児童ポルノ取締法(正式には『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』)」は、果たして現実に適合したものだろうかと感じているのです。

 しばらく前、援助交際(と当時は言った)の対価が約束より少なかったということで警察に駆け込んだ高校生がいました。もちろん結果は「児童買春」で相手男性の逮捕、女子高校生は法律上の『被害者』ですからお咎めなしです。
 しかしこんなことが許されるなら、いつまでたっても児童売買春はなくなりません。明らかに売る方が圧倒的に有利だからです。

 思うにセクハラ問題も児童買春も「女は弱い、嫌なことも自分からはっきり言うことができないほどに弱い」という性差別を前提としています。ですから問題が発生するとほとんど自動的に『被害者』にされてしまいます。しかしそれはまったくのフィクションであって、実際の女性はそこまで弱いわけでもダメなわけでもないはずです。

 セクハラを問題にするなというわけではありません。そうではなく、セクハラ問題をパワハラの枠内に収め「より強い立場にある者から弱い立場の者に対する性的嫌がらせ」に限定すべきだと思うのです。同等の立場だったら男性であれ女性であれ、はっきりと意志を示して拒絶すべきですし、そうして自ら守ろうとしない権利は他者からも守られるべきでありません。

 同様に「児童買春」ももはや18歳未満を「児童」と考えるところに無理があるのであって、せめて13歳未満くらいに対象を引き下げ、13歳以上にはそれなりの覚悟と責任を取らせるようにしなくてはなりません。そうしないと「児童買春取締法」は児童売春の非常に便利な道具のままです。
 どう考えても間違っています。