カイト・カフェ

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「鼻先の会話」~交差点で止まった二台の車、どちらが先に行くのか鼻先で伝えることがある

 今、手元にその本がないので確認できないのですが、向田邦子のエッセイの中に「我が家の電話はかかって来る直前にくっと肩を上げる」といった表現がありました。うまく書くものだなあと感心したことを覚えています。ダイヤル式の電話は内部にベルが入っていますから、実際に本体がかすかに揺れたのかもしれません。

 昨日の会の帰りに矢作川の土手の桜を見ながら走っていたら、土屋病院の向かいのあたりでちょっとした事件がありました。橋のたもとの一旦停止で停まったら、左から登ってきた車の一旦停止とタイミングがあってしまい、一瞬迷ったのですが私が先に出て直進し、左の車は左折して私の後ろにつきました。

 しばらく進んで、私は赤信号で停まっている右側車線の車列につき、背後の車は空いている左の車線を真っ直ぐ進んで・・・行くかと思ったら私の横でぴったり停まり、運転席の女の子がこちらを覗きこんで睨みつけます。要するにさっきの交差点で先に入られたことが気に入らなかったのです。助手席でふんぞり返っているサングラスの男もこちらを見ています。

 幸いなことに私は自他とも認める強面で、初対面を恐れさせるには十分な顔を持っていますから、見られていると思った時点で顎からゆっくりと顔を向け、じっと相手を見据えました。ほんのしばらく睨みあうかたちになり、こちらが「いつでも出て行くぞ」というサインを送ると相手はスーッと目を逸らし、そのまま行ってしまいました(勝った!・・・しかし何してるんだろう、オレ)。

 信号も優先もない十字路で2台が停まり合うということはよくあることです。しかしそれで難しいことはめったにありません。なぜかというとどちらが先に行くかは自然と分かるからです。何というか、相手の車の鼻先が何かを訴えてくるのです。「先に行くよ」とか「行かないよ」「待ってるからね」とか。

 もしかしたらそれは、マニュアル車でブレーキから足を離した時のほんのわずかな動きとか、無意識に感じているドライバーの表情とか、交差点に入ってきた様子からうかがえるドライバーの性格とか、あるいは車種だとか、とにかく説明しきれないそうした何ものかの総和なのでしょう。いずれにしろほとんどの車は、常に鼻先で何かのサインを送りながら走っています。それが普通です。

 運転に慣れるというのはそういうことで、車線変更や割り込み、空いている駐車スペースにどちらが入るかというやりとり、そういったものがすべて車の放つ無数のサインを読み取ることで成り立っています。

 そういえば大震災日の東京で、無数の車と人がひしめきあう様子を「巨大な無声映画を見ているようだ」と表現した記事がありました。要するにクラクションを鳴らさないでも人々は動くことができたのです。

 ただしこうしたサインを全く出さない車というのもあります。私見によれば、それは一部の女性と一部のお年寄り(こちらは男性)です。時に全く何も聞こえてこない。
 先ほどの女の子はそういう一人でした。