苛立ち

 福島第一原子力発電所で原子炉のコントロールがうまく行かず、事態が次第に悪くなっていく様子に、とてもがっかりしています。世界最高水準の日本の技術者が鮮やかに問題を解決して、その優秀さを世界に見せ付けると信じていたからです。

 一方、津波被害の方も病院の屋上でいつまでも取り残されている人たちがいるなど、こちらも少しも事態が動いていないように見えて苛立ちます(実際には14日までに自衛隊だけでも16000人近くも救助していますからそれなりに動いているはずですが、全体が大きすぎるので遅々として進まないように見えるのでしょう)。

 救援物資がバンバン被災地に届くようになるには、あと何日待たなければならないのでしょうか。

 それとまた、津波には相当敏感なはずの東北地方の人々が、ああもやすやすと飲み込まれていったことも納得ができません。津波警報のたびに「海岸には絶対に近づかないでください」というアナウンスが聞こえていたはずなのに、VTRを見ると平気で人が歩いていたりします。

 朝日新聞に次のような記事がありました(滝先生が憮然とした表情で教えてくれました)。

涙の母「熱かったね」

変わり果てた小さな姿をがれきの間で見つけ、母親たちの悲痛な声が響いた。(中略)

「あいりっー。あいりっー」

 佐藤美香さん(36)は、長女愛梨さん(6)の着ていた服を、黒こげの園バスの中で見つけ、泣き叫んだ。

 愛梨ちゃんは11日の地震直後、幼稚園バスで帰宅途中に行方が分からなくなっていた。美香さんは14日午前、家族と共に捜しに向かった。(中略)

 子どもたちは抱き合っているように見えた。「みんなで一緒にいたんだね。怖かったね。熱かったね」。美香さんたちは遺体を何度もさすって語りかけた。

 二人の通っていた幼稚園は丘の中腹にあり、地震津波の大きな被害を免れた。

 だが、園バスは地震の後、丘を下りた。園長は美香さんたちに「運転手は、子どもたちを母親のもとに早く返そうと思ったようだ」と話したという。運転手は助けを求めて園に戻った後、行方が分からなくなっているという。(略)

 滝先生は「これは結局、教育と行政による業務上過失致死じゃないですか」と怒っておられるのです。大きな地震のあとに低い土地に向かっていく、それがいかに危険かという教育や周知が足りなかったのだ、ということです。

 あの日、私たちのところは震度3でした。その状況で私もチラッと子どもを帰していいものか迷いました。しかしここでの震度3はその後に大きな問題の予想できる数字ではありません。これが震度5以上でしたら絶対に帰さなかったと思います。途中で土砂崩れに会ったり、土砂崩れによる天然ダムの形成でスクールバスが水没することだって考えられますから。

 その意味では子どもたちの帰宅を中止または阻止しなかった園長にこそ問題があるはずです。しかしそれも含めて、現場で何が起こりどういう間違った判断が下されたかのかといった検証は、改めて行われるべきでしょう。

 現場に家を持ちその家を失った民放の記者によると、町ではつい先月も大規模な津波避難訓練が行われたばかりだと言います。それなのになぜ「全員が逃げる」ということは起こらなかったのでしょう。

 人間というものには、かなり厄介なところがあります。