カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「私の心の傷」~半世紀前に見かけた少年の話

 50年前の〇〇市営バスターミナルは木造のひしゃげたような建物で、むき出しの土間だった駐車場には深く轍が食い込み、バスは発着のたびに左右に大きく揺れ、まるでそのまま倒れてしまうのではないかと思うほどでした。建物の中に待合室には、これも崩れたような木のベンチが並び、昼でも暗い室内にはあちこちに裸電球がぶら下がっているのでした。

 そこだけがやけに明るい売店の近くの席で、私は買ってもらったばかりの本を読みながら発車の時刻を待っていました。一人で乗車できるような年齢ではありませんでしたから、きっと親は近くにいたはずですが今となっては思い出しようもありません。気持ちとしては、一人ぼっちでそこにいる感じでした。

 眼の隅に何か違和感があってふっと眼を上げたのは、本もだいぶ読み進めたときでした。見ると一人の男の子が自動販売機の前で涙を流しているのです。自動販売機と言っても昔のことですから驚くほど単純で、大型の冷蔵庫ほどもある白い箱に10円玉を二つ入れると紙コップにオレンジ・ジュースが注がれるという、ただそれだけのものです。不思議なことにその“冷蔵庫”の上には直径が50cmほどのプラスチック・ボールついていて、その中をオレンジ・ジュースが噴水になって回転しているのです。

 涙というのはこんなに出るんだと呆れるほどにこぼしながら、少年はパンパンに膨らんだガマ口から、次々と1円玉を販売機につぎ込んでいます。たぶん1円玉専用のがま口なのです。そのことに気づいて、私は絶望的な気持ちになりました。というのは1円玉をいくらつぎ込んでも、絶対にジュースが出てこないことを知っていたからです。その自動販売機は10円玉しか受け付けす、他はすべて機械の中に吸い込まれて決して出て来ないのです。それなのにその子は果てしもなく1円玉をつぎ込んでいきます。

「自己懲罰的」という言葉は大人になって覚えましたが、意味するところは当時も知っていました。少年は持っている1円玉をすべて使い果たすまで、投げ込むことをやめないだろうことは明らかでした。しかし私は1円玉をいくら入れてもダメだということを、彼に言えなかったのです。
 私より2〜3歳上の彼に、小学校低学年の私が知識をひけらかすのは僭越だと考えたのです。その人のプライドを傷つけてはいけないと幼心に思ったのです。
 私はほんとうに悲しい思いをしながら、彼が1円玉を使い果たし、黙って泣きながらその場を後にするのを呆然と見送りました。

 しかしずいぶん経ってから、私は別のことを考え始めました。それはあのとき声をかけられなかったのは、ほんとうに彼のプライドを守りたかったからなのだろうかということです。ほんとうはそうではなく、単に見知らぬ人に言葉をかける勇気がなかっただけではないのか、そんなふうに思うようになったのです。
 それが私の心の傷です。

 その後私が常に困っている人のために働くようになったわけではありません。今から思えば信じられないほど愚かなことも悪いこともたくさんしてきました。後悔することも反省することも少なくはないのですが、しかし私の心の中でいつも疼くのは、今から50年近くも前のバス・ターミナルの情景です。
 人としてしなければならないことをしないと生涯後悔する、そのことをいつも呼びかけるのはその時の光景なのです。