カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ニュース・ショウ・ザ・エンターテイメント」~メディアは視聴者が聞きたいように報道する

 教育評論家の尾木直樹さんと話したことがありあす。もう10年以上前のことです。教研集会の講師としてきていた尾木が、引き続いてオブザーバーとして参加した分科会がたまたま私の申し込んだものと同じだったのです。

 講演会はなかなかすばらしいもので、教師の側に身を寄せて日本教育の今後を考えていこうという誠実な態度が見受けられました。しかし日ごろテレビなどで言っていることとまるで違うので、分科会で隣の席に座ったのをいいことに、こちらから声をかけたのです。
 すばらしい公演でしたが、いつもテレビで言っていることと違うじゃないですか、ということです。 
 それに対して尾木は、
「いやあ、私もこれで生活してますもので、行った先で少しずつニュアンスを変えてしゃべってるんですよ。これで食っていかなければなりませんから」
 なかなか正直な物言いだと思いました。その正直さに免じて許してやってもいいなと、そのときは思いました。
 そして今、あのとき許したのはとんでもない間違いだったと後悔しています。

 尾木は先週もテレビに出ていて、その時は「ここのところ教員採用試験の倍率が下がって教員の質の低下が深刻になっている、全国的にそういうことになっている」というようなことを言っていました。しかし事実はそうではありません。

 わずか数年の間に26倍から2.6倍に落ちてしまった千葉県のように、都市部での競争率の低下は深刻ですが、地方の競争率は上がったり下がったりで、青森県の25.2倍や岩手県の22.5倍は逆の意味で深刻な数字です。しかし尾木は「全国的に教員の質の低下が・・・」と言います。なぜそんなことを言うのか。

 答えは簡単です。
 これで生活してますもので、行った先で少しずつニュアンスを変えてしゃべってるんです
 つまりテレビに出てくるような評論家たちは事実を言うのではなく、テレビ局、ひいては視聴者が何を望むかに合わせてしゃべっているのです。その意味で彼らはテレビに出ている範囲内で評論家ではなくキャラクタなのです。彼らは「告発キャラ」を演じ、司会者やコメンテータが「お怒りキャラ」を演じています。その意味ですべての報道番組は“ニュース・ショウ”なのです。

 困るのはそれにもかかわらず、多くの視聴者が“ニュース・ショウ”、つまりエンターテイメントを真面目な「報道番組」と誤認していることです。かく言う私も、専門の教育以外の分野ではまさに踊らされているひとりです。

 今後注意しなければならないことの一つは、こうしたエンターテイメントで、「教育を学んだ」と錯覚した保護者、児童生徒、マスコミ関係者が続々と私たちの前に現れてくるということです。それに対抗するだけの事実と論理を、私たちは積み重ねておかなければなりません。