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「悪意なのか無知なのか」~学校におけるいじめ問題の重大さを、マスコミはまるで分っていない

 またまたテレビ番組の話ですが、私が「毎週これだけは見ておきたい」と思うのは日曜日の朝の報道番組「サンデー・モーニング」だけです。一週間のニュースをまとめて整理し解説してくれるから便利なのです。コメンテーターの発言も、基本的には妥当なものだと思います。
  ところが、今週の日曜日(14日)群馬県桐生市の女児自殺事件を扱った場面で、「おや」と首を傾げるようなところがありました。

 この自殺事件に関して「学校がようやくイジメの事実を認めたこと」しかし「自殺との因果関係についてははっきりしなかったこと」、この2点について紹介したあと、まず教育評論家の尾木直樹氏のコメントを聞き、そのあとレギュラーの毎日新聞主筆 岸井成格氏に話を聞くという手順でした。しかしこの尾木直樹のコメントが酷かった。

 なぜ自殺の原因がイジメだと認めないかというと、
「それを認めると校長の管理責任を問われるわけです。そうなると辞職しなくてはなりません。だから認めないんですね。辞めたくないから逃げている」(大意)
と言うのです。

「校長の辞めたくない説」はこうした場面で繰り返し出てくる論理ですが、ほんとうにそれしか思いつかないのでしょうか。
 毎日新聞主筆の岸井氏にしても、「そうなんですよね。こういうときは徹底的に逃げている」(大意)といった話になる。

 卑しくもマスコミ関係者なら、こうした状況で校長がどれくらい酷い目にあっているか、想像ができそうなものです。朝から晩まで記者に追い回され、フラッシュを浴び、答えられない質問に苦慮し、全校の児童と職員を守ろうと次々に指示を出し、夜も寝られない。2006年の11月には北九州市の小学校で“イジメ隠し”を追及された校長が自殺するという事件がありましたが、そのくらいマスコミの攻勢は厳しいのです。
 そんな苦しい状況にもかかわらずさっさと「イジメがありました。自殺の原因はイジメです」と認めて辞職しないのは、辞職が怖いといった軽いレベルの話ではありません。認めればそこに当然“加害者”が生まれてくるからです。
  自殺に至るようなイジメがあって加害者がいないということはありませんから、次は「誰が犯人か」が問題になります。もちろん「加害児童」が刑事罰になるかどうかは“イジメ”の程度にもよりますが、一般のレベルでは確実に懲罰が行われます。いわば私刑です。

 抗議の電話の矛先が学校からその子の家に移ります。親兄弟がそれぞれ所属する集団の中で孤立します。時には罵声を浴びせられ、取引相手からは忌避されるかもしれません。その他あらゆる場面で家族が批判の矢面に立つことになる、そうなることは火を見るより明らかです。
(たとえば同じ2006年の「岐阜県瑞浪市中学校いじめ自殺事件」では、“加害者”とされる女子生徒たちは、今も実名・住所とともに顔写真《プリクラ写真》までネットに曝されています。この子たち、この先どうやって生きて行くのか)

 イジメによる自殺を認めるというのはそういうことです。校長ひとりが辞めて済むならこんな簡単なことはありません。どうせ定年退職までたっぷりと時間があるわけではないのです。退職金が出なくなるわけでも刑事罰を受けるわけでもありません。
 にもかかわらず安易に認めないのは、十分な調査もしないで安易に“イジメ自殺の加害者”を生み出してはいけないからです。調査にミスがあって無関係な子が“犯人”として世間に出て行ったらどうなります?

 それを、どうしてあんなに簡単に「辞職したくないから校長は逃げている」などといえるのでしょう。イジメとか自殺とかは、そんなに軽いレベルの話なのでしょうか。まったくマスコミの見識の疑われるところです。