「教師として身につけた三つのこと」~子どもや保護者と付き合うときの基本的態度

 教員には様々な資質が必要です。その中には生まれながら持っていたり、大人になる過程で自然に身についたりするものもありますが、教員になって初めて「それがない」ことに気づき、あわててやらなければならない、そんなこともあります。私にとって、それは大きく三つでした。

1 瞬間的に怒る

 もともとはそうとうにおっとりとした性質でした。高校生のころ、自転車で学校を出たところ嫌な同級生に横から蹴られかなり危険な目にあいました。ヨロヨロと進んでようやく立て直したら後ろから「藤井!怒れ!」という声がして、見るとやはり自転車で後ろを走っていた友だちが真っ赤な顔をして怒っています。それで「ああ、やっぱり怒っておけばよかった」・・・。

 万事こんな調子ですから教員になってからも苦労します。事件の翌日になって生徒を呼び出し、「あれからよく考えたのだけどね、やっぱキミのやったことは良くないよ」では指導になりません。何か悪事があったら瞬間的に反応しまず怒る、そういうことができないと教師は務まらないのです。

 これについてはかなり意識的に努力しました。そして今度は怒りをコントロールするのに苦労するようになりました。

2 理詰めにしない

 かつて最も好きな教科は算数・数学でした。たとえば反比例のグラフ、手描きだと軸にくっついて見える線も、漸近線である以上は絶対にくっつかない、地の果てまで進んでもつくことはない、そういうクリアな感じが好きでした。何百人反対者がいても私が正答を出せば必ず勝てるという確かさも性に合いました。

 しかし学校というところはものすごく人間くさいところで、特に生徒や保護者とのやり取りは論理のせめぎ合いではなく、情の問題である場合が少なくないのです。ディベートではなくヤクザの手打ちみたいなところがあって、本質的な問題解決はできていないのに政治的に問題が解決してしまうということがしばしばあります。そしてその方が結果の良い場合が大半なのです。情で納める、これは今でも苦手ですが、いつも心に留めています。

3 完勝しない

 上の「理詰め」にも関わりますが、特に保護者が相手の場合、完膚なきまでに相手をやっつけてしまうとあとの対応が格段に難しくなることがあります。

 息子がイジメられたと学校に乗り込んできたら、ほんとうに悪いのは息子のほうだったというような場合がそれですが、こんなときこちらの圧勝で終わってしまうと親も傷つきます。そして傷ついた人間がおとなしくなるとは限りません。特に相手が大人の場合は遺恨を残します。

「戦闘に勝って戦争に負ける」という言い方がありますが、圧勝できるときも自重しておかないとあとで復讐を受けたりします。圧勝のときも8:2くらいで相手に花を持たせなければなりません。

 以上、なかなかうまく行かないことも多い(何しろ根っからそういうことが得意というわけではありませんので)のですが、教員になってからずっと心していることです。