誰が教えたのか

 

 ワールドカップ日本代表、各ポジションの選手たちがチームのために献身的に役割を果たした姿は世界に高く評価されました。この「献身的に役割を果たす」ということに関して、私にはある思いがあります。それは阪神大震災のときのことです。

 

 阪神大震災があれほどの被害を与えた理由のひとつは、関西人が持っていた「関西に大規模地震は起こらない」という思い込みがあったからだと聞いたことがあります。しかし一般レベルの準備は足りないながらも行政にはそれなりのマニュアルと用意があり、地震発生とともに各地に避難所が設けられ、食べ物の配給などが始まりました。ところがこれがさっぱりうまく行かない。

 

 十分に足りているはずの配給品がいつも足りなくなる。あちこちでトラブルが発生する。見ると一度品物をもらった人がまた後ろに並んでいる、食べ物の「数」は足りているにしても内容がまちまちですので(おにぎりだったりパンだったり)あっちがいいとかこっちがいいとかいろいろ言い出す。まったく統制が取れないのです(いかにも関西といった感じもします)。しかしそんな状況は、わずか二三日で解消してしまうのです。

 

 ポイントは部屋長制です。避難所の各部屋を単位に代表者を出させ、そこで運営委員会のようなものをつくったのです。物品は委員会を通じて分配され、内容の不平等はジャンケンやくじ引きで解決します。そしてそのうち部屋ごとの清掃当番が決まったり、それぞれが何らかの仕事を請け負うようになっていったのです。

 

 阪神大震災では1件の略奪もなかったことで世界を驚かせました。「実際にはあちこちで略奪があった」という噂は繰り返し出ましたが、どこの店がといった具体的な話は(プロと思われる外国人窃盗団による宝石店侵入1件を除けば)まったく確認できません。物品の配給と管理がうまく言っていれば、あえて犯罪に訴えることもありません。被災地の安定という意味では歴史上類を見ないほどうまくいった例です。

 

 さて、これについて規律を重んじる日本の伝統だとか、日本人の体に浸み込んだDNAだとかいろいろな言われ方がしましたが、冗談ではありません。戦国時代の様子や幕末の一揆・打ちこわしなどをみれば、日本人だって諸外国並みに略奪をしてきたことが分かります。日本人だって普通の人間なのです。しかしそれにもかかわらず、部屋長=運営委員会といった制度をつくり、当番制を敷くとすべてがうまく行くのは、そうしたシステムを教え訓練をした誰かがいるからです。

 

 そうです。言うまでもなく学校がそれをやってきたのです。

 

 役割を与えられたら責任を果たすこと、適切に改善案を出すこと、みんなで協力し合うこと、時には臨機応変に他の仕事の手助けをすること・・・保育園・幼稚園時代から数えれば、日本の子どもは何千日ものあいだ班活動や当番活動の仕方を繰り返し練習してきたことになります。

 仕事が役不足だと声高に言うこともなければ、無償で働くなんて真っ平だとも言わない。

 自分が働いているように他の人も働いているだろうと素直に信じ、その総和が自分たちに幸福をもたらすだろうと単純に信じることができる、それが特別活動という時間の枠の中で私たちが教え鍛えてきたことです。

 

 学力問題が叫ばれるようになってから、特別活動は縮小される方向で動いています。国民は数学ができるとか英語ができるとかに夢中で、日本人の美質を守ることには異常に不熱心です。一度何もかも失わないと人は分からないのかもしれません。

 

 もちろん一度何もかも失ったら絶対にもとに戻ることなんかできはしませんけど。