カイト・カフェ

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「あいさつの効能」~“言葉自体は無意味”である意味

  あいさつというものは、それ自体を取り出せばまったく無意味なものばかりです
「おはようございます(早い時刻ですね)」
「さようなら(そういうことでしたら)」
「ただいま(現在)」
 昼や夜のあいさつとなると、「今日は」「今晩は」と主語を投げ出して何も言わない奇妙さです。漫才で言えば絶好のツッコミどころです。

「今日がどうってことよ!今晩がどうしたってことよ!」

 そうした状況は諸外国でも同じで、「グッド・モーニング」「グーテン・モルゲン」(ともに“よき朝”)、「ボン・ジュール」(“よき日”)、どれをとっても似たようなものです。
 なぜあいさつの言葉が単純で無意味なのかというと、それはあいさつが単なるサインだからです。

「おはようございます」「グッド・モーニング」は通常、「さあ、今日一日一緒にやって行こう」「ボクに話しかけていいよ」という『言葉のサイン』です。私はあなたに対して心を開いているという意思表示です。逆にあいさつをしない、あいさつを返さないというのは「キミとは話したくない」「お前とは話す気になれない」という強力な負のサインですから、無視されると非常に不快な感じがします。

 あいさつを重点活動に入れていない学校は稀です。民間企業でも、特にお客さん相手の仕事だと「あいさつ・服装・清掃」が必須の条件として必ず挙げられてきます。それはあいさつが重要なコミュニケーション・ツールであるとともに、あいさつを通して強引に集団の輪の中に入れていこうとする意思があるからです。

 あいさつの言葉はまた、場によってさまざまに意味を変えます。たとえば喧嘩した翌日の「おはよう」は、「仲直りしよう」という意味です。改めて謝ったり説明したりする必要はありません。ニコッと笑って「おはよう」だけでいいのです。

 私は昔、近所にできた6軒ばかりの新興住宅地をのぞきに行ったら、一軒の家から出てきた男性に「こんにちは」と声をかけられたことがあります。これなどは「怪しんでるよ」「顔、覚えたよ」といった意味でしょう。

 あいさつから一歩進んで会話が始まると、さらに高度なコミュニケーションが始まります。たとえばテレビなどでよく聞かれる言葉のやりとり、
「おはようございます」
『おはようございます』
「今日はどちらまで」
『ちょっとそこまで』
も、突き詰めると何を言っているのか分かりませんが、表面的には意味不明でも、背後に流れているコミュニケーションは実に複雑です。

「おはようございます」
『おはようございます』
「今日はどちらまで」
(別に行き先に興味があるわけではないけれど、おはようだけではすまない仲なので・・・。でも、都合が悪ければ本当のことは言わなくてもいいのが普通だから、これでOK)
『ちょっとそこまで』
(特に話したければ別だけど、そうでもなければこの程度の返事でOK。相手だって気分悪くしないはず・・・)
といったところでしょうか。

 いずれにしろ会話をしてもらわなくてはこうした複雑なコミュニケーションの訓練も始まりません。学校のあいさつ運動、丁寧に進めたいですね。