靴を揃えること�@

 清沢先生の学年通信に、下足箱に入っている他学年の児童の靴を、黙って揃えてあげる6年生の話が出ていました。

 下足を揃えているところに当の持ち主が現れ、せっかく揃えた下足を手にすると、今度は上履きを乱暴に投げ込んで行ってしまった、それをもう一度、先の6年生が揃えてあげたという話です。得にはならないかもしれないが「徳」にはなる、そんなふうに締めくくっておられます。いい話ですね。そして、こうした場面に出くわすチャンスはなかなかありませんが、運よく出会えたときは清沢先生のようにきちんと評価してあげなければいけないなと、改めて思いました。

 さて、靴を揃えることについて、私にはある種のこだわりがあり前任校に赴任した際は朝晩2回、全校の500足を揃えて回ったことがあります。それは個人的な思いで始めたことですが、すぐに気がついたのは「これはかなりオイシイ仕事だ」ということです。と言うのは、行くたびに仕事が楽になっていったからです。

 最初は500足のほとんどに触れていたのに、1ヶ月もしないうちに触る靴の数が半分以下になり、3ヶ月もすると9割がたきちんと揃って後は多少手直しするだけで良くなりました。半年もすると、揃えなければならない靴は20足以下になります。

 大した努力もしないのに大きな成果が得られ、その上、私の靴揃えに気づいた先生たちからは私が誉められるわけですから、これでおいしくない訳がありません。

 しかしその間、何が起こっていたのでしょう。

 もちろん基本は「人は、きれいなところはきれいなまま維持したがる」という性質によります。汚いところをきれいにしろと言うのは難しいですが、きれいなところを維持するのは案外簡単なのです(これについては、空き缶などの不法投棄が繰り返される場所に花を植えたら投棄がなくなったといった話として知られています)。自分の靴がきちんと揃っていると、いつの間に自然とそろえるようになるのです。

 しかしそれで100%というわけには行きません。何十人かにひとりくらいの割合で、そうしたことが絶対できない子が確実にいるのです。クラス全体が揃うためには別の要素が必要で、その要素のあるクラスはほとんど100%、きちん靴が揃えられてきます。それは「黙って友だちの分も直してあげる、無名の同級生がいるかどうか」ということです。これについてはまた改めてお話したいと思います。