なぜ本を読むことが必要なのか

 読書週間が始まりました。

 ところでなぜ私たちは本を読まなければならないのでしょうか。

 本を読む効用はさまざまにあります。読んでいなければ社会が分からないとか、光源氏と聞いて「ああ20年くらい前のアイドル・グループね」とか言っていたらバカにされるとか、他人の会話についていけないとか、心が貧しくなるとか、あるいはいつも読んでいなければ漢字を忘れえるとか、重要なことから瑣末なことまでたくさんあるはずです。それぞれ、人によっては思いが異なることでしょう。

しかしここでは子どもが本を読まなければならない理由を。三つに絞って考えたいと思います。

 まず一つ目は、「言葉は思考そのもの」だということです。

私たちは通常、日本語でものを考えています。それは普段意識されませんが、バイリンガルの人たちはしばしば自分が「日本語で考えている」「外国語で考えている」ということを意識するようです。ALTのショーンさんの頭の中は基本的に英語が駆け巡っていて、時折、日本語が混ざって走っているのかもしれません(西澤先生はその逆でしょう)。つまり人は母国語を思考の基本に据えているのです。

 したがって日本語で考えている以上、日本語が豊かでないと考えも豊かでないということになります。たとえば、「ほの暗い」と「ほの明るい」の差は非常に微妙でしかも決定的です。その差を理解できる人だけが、薄く明るい状況について語ることができます。言葉を知っていてそれを駆使できることは、それ自体が「頭が良い」ということなのです。

 第2は、間接体験ということです。

 人は、本当のことは体験からしか学べません。しかし人間ひとりが生涯に体験できることなどかなり限界があります。またいくら体験が大切だからといっても、体験できないことや体験してはいけないこともたくさんあります。たとえば宇宙飛行は今のところ体験不能ですし、薬物体験や交通事故体験は試してみることも許されません。したがってどうしても間接体験(もしくは代理体験)が必要になります。

映画や講演もありますが、読書は最も効率の良い間接体験の方法なのです。それを利用しないテはありません。

 第3に、読書には旬(しゅん)があるということです。

 私は自分の子どもにかなりの期間読み聞かせをしていましたが、子どもにせがまれて読みはするものの、まったく面白くないという本がいくつかありました。ピーター・ラビット・シリーズはその代表です。どうも子どもでないと分からないらしいのです。

同様に「十五少年漂流記」は自分が子ども時代に夢中になって読んだはずなのに、これもさっぱり面白くない(数学者の藤原正彦さんは、「クオレ」について同じことを言っています)。つまり、その年齢でなければ楽しめない、理解できない本がたくさんある、ということです。

 藤原正彦さんはご自身が見た、子ども向け文学全集のキャッチコピーを再三引用します。それは次のようなものです。

「早く読まないと、大人になっちゃう」

 この感じ、分かりますよね。

 本は、今、読まなければならないのです。