日陰の雪の溜りから、スコップ1本とジョレン1本を拾って来ました。去年の秋に買ったばかりの新しい農具です。本校の児童は、と言うよりは、子どもというものは道具を大切にしません。
私自身小さなころは道具なんて平気で放り出す子でしたから、今の子どもたちの気持ちも分かりそうなものですが、これがなかなかどうして、思い出そうとしても思い出せないのです。大昔のことですから。
まあ、しょうもないガキだったということでしょう。
しかし一方、職人や農家の子どもの中には、小さな頃から道具を大切にする躾をきちんと受けた人もいます。私のかつての同僚にもそういう人がいましたが、文房具など細かな道具のあつかい方まで実に丁寧でした。
さて、イソップ童話に「金の斧」という話があります。池に斧を落としてしまった木こりが、女神の見せる金の斧や銀の斧を断って、その「みすぼらしい斧が私の斧です」と答えて、3本の斧をプレゼントされる、あの話です。
私は長く、女神さまの台詞にあるように、木こりが正直なので自分の斧を鉄だと言ったのだと思っていました。しかし先日、突然、それは違うのではないかと思うようになったのです。
木こりは、使い慣れた自分の道具がどうしても欲しかったのではないか、ということです。
職人にとって使い慣れた道具は体の一部のようなものです。それを金や銀の斧と交換されてはたまらなかったのだと、そんなふうに思えるのです。
今なら私でもそんな感じ方をするに違いないと思います。
道具を大切にしない子どもたちはどう感じるでしょうか?