カイト・カフェ

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「皆勤賞の話」~危険な側面もあるが利益の方が多い(と思う)

 私が卒業した小学校には皆勤賞というものがありました。それで何かの商品や賞状が出るということはなかったようにも思いますが、卒業式のステージの左袖壁に、大きく名前を書いてもらえるのです。それまで気づかなかったのですが、自分の卒業式になって初めて知りました。

 6ヵ年皆勤が1人、精勤者は2〜3名でしたが、それがどれほど印象深いことであったかは、一度も同じクラスになったことのない皆勤賞の女の子の名を、今でも覚えていることで知れます。そのとき私は、小学校6年間はまるでダメだったけど、中学校3年間は絶対皆勤してステージに名を掲げるのだと激しく決心しました。

 ただそうはいっても病弱養護学級にいたような子ですから中学での皆勤は容易なことではなく、遅刻と早退の激しい繰り返し、時には遅刻で登校し1時間授業を受けてまた早退というようなことをしながら何とか1年間の皆勤を果たしました。しかしところが、最初の卒業式で分かったのですが、中学校には皆勤賞はなかったのです。

 本当にがっかりでした。もっともそれだけ苦労して1年間皆勤すると、2年目3年目に安易に欠席することはできません。それからも同じ、半分ずるいようなやり方で、結局3年間皆勤することができました。そしてそのことは後々大きな自信となって私を支えてくれたのです。その気になれば、踏ん張りは利くのです。

 現在、皆勤賞を重く扱っている学校はそうはないと思います。特定の子を賞賛しすぎるのはやはり変だとか、あまり皆勤を奨励すると病気の子やいじめられている子も学校に来てしまうとか、さまざまな理由があるようです。しかし6年間1日も休まないという偉業を達成した子どもは、やはり賞賛されてしかるべきだという気が私はします。

 前任校では、若い男の先生が学級内で1ヵ年皆勤賞・精勤賞を出しているのを校長先生が面白がって、ぜひ学校全体でやろうということになり、私が賞状を用意する役をおおせつかりました。3学期終業式の日に、6ヵ年皆勤者・精勤者と1ヵ年皆勤者・精勤者を表彰しようと言うのです。

 児童数250人ほどの学校で、最初の年は十数枚の賞状でした。それが2年目には50枚ほどになり、これはヤバイかもしれないと思っていたら案の定、3年目には100人を越える数になってしまい、渡しきれないので1ヵ年精勤については担任からの手渡しで我慢してもらうことにしました。たいていの子は休んでも5日程度ですから、いつもの年より2〜3日がんばって学校に来れば精勤賞は軽く取れるのです。

 その学校は不登校不登校傾向の子もいない学校でした。学校に来ること自体に価値があると信じているようなところでは、学校に行かないという選択肢が見えてこないのです。

 皆勤賞というのは一方で危険な面もあります。しかし登校し続けることに価値があると信じられるような学校、それはやはり重要な気がします。