カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「(私の)新年の決意」~子どもが何度失敗しても懲りることなく、私が励まして行くしかないな

 始業式の日に『今日学校に来る子どもの何人かは「今年からやり直そう」「去年とは違う自分でやって行こう」と決心して登校しているはずです』と書いて、書いたあとで、もしかしたらウチのバカ息子だってそうなのかもしれないと、そんな思いが脳裏をかすめました。年末年始、一日の大半をカタツムリのごとくコタツに丸まっていた(これをコタツムリというらしい)恐るべき眠り狂四郎ですが。

 その三年寝太郎(名前はどうでもよくなった)が、正月も10日も過ぎて「お父さん、今年、僕は決心した」とか言って、2〜3、新年の決意を語ってくれました。日常的で基本的な決心なのですが、日常的で基本的な分、守れたかどうかが毎日試されるような難しい内容です。もとより、3日ももつかどうか怪しいものです。

 さて、そのあと風呂に入りながら、私は深く考えました。

 「目標」を言質として「決意」にもとるような行いをするたびに、「新年の決意はどうしたのだ?」と問い詰めるのは簡単です。「ホラみろ、やっぱりできないじゃないか」と責めるも簡単です。しかしそれで態度が改まったり、悔しさをバネにがんばったりするような子ではありません。追い詰めれば「決意」など簡単に投げ出してしまう子です。しかし放棄されることを恐れて何もしなければ、結局、自然に消えてしまうことも大いに考えられることです。

 人間は、大昔に流行った名曲「スーダラ節」のように、「分かっちゃいるけど やめられない」生き物です。決意なんて何回したって、何度でも同じ過ちを繰り返します。

 しかし過ちに懲りて決心することをやめたら、成るものも成らなくなってしまう、それも真理です。

 結局、何度失敗しても懲りることなく、私が励まして行くしかないな、それが結論でした。そしてそれを、私の今年の決意にしようと思いました。

 どんな子も同じですよね。