カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「メメント・モリ」~明日、その人がいなくなっているかもしれないと、こころの隅で少し思うこと

 知り合いの息子さんが、21歳の若さで亡くなりました。東京のアパートで一人暮らしだったので、一週間も発見されなかったのだそうです。原因不明の突然死ということらしいのですが、まったく予兆のないできごとだったのでご両親の悲しみにも、いっそう深いものがありそうです。

 がんで亡くなったある女性の手記を読んだことがあります。特に印象的だったのは、
「私はずっと以前から、夫が死んだらどうしよう、この子たちと一緒にどうやって生きていこうと、そんなことばかり考えていましたが、まさか自分が家族を残して死んでいくなどとは夢にも思ったことはありませんでした」
という行です。

 私たちは普通、自分の死か、家族の死か、どちらか一方しか真剣には考えません。

 メメント・モリという言葉があります。ラテン語で「死を想え」とか「死を忘れるな」といったふうに訳され、キリスト教の思想の一端を表現しています。演劇や絵画のテーマとして繰り返し用いられるもので、私は若いころ芝居を通じてこの言葉を知りました


 もちろん「死を思え」と言われても、毎日、毎日、この人は明日はいないかもしれない、いや自分の方が死んでいるのかもしれないと考えながら生きることは、とてもできませんし、そんな見方で付き合われるのは相手にとっても迷惑でしょう。普通は誰しも、『死』がずっと向こうにあるものとして暮らしています。それでいいのです。

 しかし、それでいいのですが頭の片隅のどこかに、人が死ぬものであるということを留めておかないと、私たちは大切なものを失ってしまうかもしれないのです。

 朝、家を出るときも、下校時に子どもたちと別れるときも、退勤の時も、心のどこかで何かやり残しはないのかと、ちょっと振り返るだけの余裕を、いつも持っていたいものです。