カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「とにかく勉強しない子たちに勉強させる方法」~もう、量を減らすしかないんじゃないのか?

 以前にもお話しましたが、十年以上前、「子どもはどうしたら勉強するようになるのか」というテーマで2年がかりの研究をしたことがあります。
 結論はいたって簡単で「学習に価値を感じていること」「そのための学習量が適切であること」そして「学習習慣があること」の3点です。現場の教師にとっては当たり前のことですが、研究の価値はそれを統計的に裏付けたことにあります。

 「学習に価値を感じていること」というのは、知識の獲得や技能の向上自体が楽しいとか、勉強すれば親に喜んでもらえるとか、あるいは行きたい高校や大学にいけるとか物を買ってもらえるとかいったものですが、感じる価値が高ければ高いほど意欲は高まり、価値の継続性が高ければ高いほど引き続き学習するというのは当然です。

 しかしそのために何百時間も学習しなければならないとか大変な苦痛に耐えなければならないとなると、意欲は急速に減衰します。それが「そのための学習量が適切であること」の意味です。つまり(学習意欲)=(価値の高さ)×(学習の容易さ)ということになります。

 ただし、私の研究のもっとも良い(自分で気に入っている)ところは、それにも関わらず「学習習慣のない子は勉強できない」ということを明らかにした点です。人は、意欲のみでは勉強できないのです。

 さて、どんなに良く勉強するクラスでも最後に一人や二人、どうしても宿題をやってこれない(やる日もあるがすぐにできなくなってしまう)ような子が残ります。怒鳴ってもなだめすかしても、どうしてもダメな子たちです。

 もともと学習習慣のない子たちですからその能力に期待してもダメです。学習の価値を知らせようとしても、とにかくある程度勉強してもらわないと、勉強の楽しさも教えられなければ誉めてやることもできません。物で釣ってもすぐに限界が来ます。そうなると何ができるかというと、結局「そのための学習量が適切であること」という点しかいじるところがなくなります。そういう子には、宿題や課題の量を減らしてやるしかないのではないかと思うのです。

 もともとお勉強の苦手な子ですから、普通に課題を与えると他の子の何倍もがんばらないと達成できません。それはその子には不可能です。一定の技能を身につけるために必要な学習量というのは自然に決まってきますが、そういう子についてはいったんあきらめ、毎日1問でも2問でも、できる分量を与えてできたら誉めるということを繰り返す以外に、たぶん方法はないのです。

 あとは、一人だけ(二人だけ)宿題が少ない、という不公平を他の子どもにどう納得させるかですが、毎日宿題をやってこないという情けない姿を見ていれば、案外、簡単に通るのではないでしょうか。