教員の不祥事のこと

 教員による不祥事が止まらない、少なくとも止まらないような印象を与えます。

ある人は教員だからニュースになり易いだけだと言い、別のある人は規準が変わり昔からあったものが許されなくなっただけだと言います。また別のある人は、教師を見る目が厳しくなっただけだとも言ったりします。

 実際に数が増えているかどうかは別にして、しかしこれだけ叩かれてもゼロに近づかないことには、何か理由があるはずです。

 私は、もう教師はいやになってしまっているのではないのかと思うのです。

 大きな問題を起こせば職を失うぞ、収入を失うぞ、家族を路頭に迷わせるぞといった脅迫が、もうどうでもいいほどに、やる気を失っているのではないのかと疑っているのです。

 もちろん犯罪がらみだったりすると「意欲的な熱心な教師だった」とかいった話が出たりしますが、陰で悪いことをしている人は表はきちんとするものです。それに「何度も問題を起こしている教師だった」と言えば管理責任を問われかねません。だから「意欲的な熱心な先生だった」ということになるのですが、その実、芯から絶望しているように思うのです。絶望して、どうでも良くなっているのではないかと。

 昔は、教師は無条件に尊敬される存在でしたし、私たちの仕事は疑いなく社会的に尊いものでした。しかし今はそれが感じられないのです。

 では、どうしたら私たちは、仲間をそうした絶望の淵から(不祥事の隣りから)引き戻すことができるのでしょう。

 ひとつ思うことは、不祥事によって失うものの大きさをもっともっと巨大にしてしまうことです。もちろん収入を大きくすることはできないので、それ以外の条件の重さを増すのですが、それは、ともに働くすばらしい仲間だとか、教師として働く生きがいだとか、信頼し合える子どもたちだとかいった、今私たちの目の前にあり、みんなで頑張れば何とかなりそうなものたちです。

 今日、考えたことはそういうことです。私たちの仕事を、もっと価値ある楽しいものにしなくてはなりません。