カイト・カフェ

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「『山びこ学校』のころ」~子どもはいつの時代も変わりない・・・わけではない

 私が今読んでいるのは「山びこ学校」(無着成恭編)、いわずと知れた作文教育の必読書です。しかし作文指導の勉強として読んでいるわけではありません。昔の子どもがどのような環境の中で生き、どのような姿でどんな教育を受けていたのか、それに興味があったのです。
 しかし読めば読むほど、さまざまな意味で暗澹とさせられる作文群です。

『私はまいにち学校にもゆかず、すみ山にゆきました。私は「みんなのように学校に行けたらな」とおもっているときがたびたびあるのです』
(石井敏雄)

「私は
 学校よりも
 山が好きです
 それでも
 字が読めないと困ります。」
(佐藤清之助)

『答辞』(佐藤藤三郎)という文の中にはこんな一節があります。
『あるとき、中学校の三年になってから、無着先生が私たち全員をゲンコもちでぶんなぐったことがあります。みんな目をつむらせられて、ゴツンゴツンくらつけられました。
 みんなも、自分がぶんなぐられていたかったのも忘れて、「先生にぶんなぐられるようなことをしたのはだれだ!」「いつもいつも人をなぐったり、人の生命にきずがつくようなことをするのはわるいことだ、と教えている先生に、ぶんなぐらせねばならないようなことをしたのは誰だ!」とみんなどなりました。
 その日は寒い日で、みんな火鉢にあたっていたのです。そこへ無着先生がガラッと戸をあけて入ってきたので、みんな席についたら、「けむたいなあ。誰だ、紙くべたの」と、おだやかな口調で先生は聞いたのです。ところが、誰も手をあげませんでした。それで先生はおこり出したのです。
(中略)
 あとでわかったことですが、そのときは木川進がくべて、わすれておったのでした。それがわかって進君が、壇に上って、「われがったっす。」とみんなにあやまった時、みんな笑いました。ゆかいになって笑いました。そしてみんなは、「おれたちにあやまるより先生にあやまれ!」といいました。先生も、「みんなの中には、自分のわるいのを他人になすりつけるようなバカ者はない筈だった。」といって笑いました』

「子どもはいつの時代も同じだ」「変わったのは大人や社会の方であって、子ども常に子どもだ」といった言い方がありますが、これが同じ子どもの姿とは、とうてい思えません。 

 今からわずか60年ほど前の子どもたちですが、私たちが教育しているのは、それとはまったく違った子どもたちです。