カイト・カフェ

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「罪は暴き切らなくてはいけない」~子どもの罪は放置したら可哀そうだ

「確かにウチの子も悪いが、先生の注意の仕方には問題がある」と言って最終的に教師に謝らせ、結局「ウチの子」の事件についてはウヤムヤにしてしまう保護者のやり口を、私は「相殺法」と呼んでいます。
 教師の指導の方法が気に入らない(特に「強すぎる」)と言って非難してくる親というものはここ数年のことではないでしょうか。

 どうやら保護者は、怒鳴ったり怒ったりしなくても子どもが素直に謝り反省する魔法のような方法を教師なら持っているはずだ、と思い込んでいるふしがあります。
 ですから教師が怒鳴ったり汚い口をきいたりすると、「他に方法があったはずだ」とか「信頼関係さえあれば、子どもは素直に従ったはずだ」といった言い方になります。しかし、実際にそんな便利な方法はめったにありませんし、あるにしても「普通の教師」がだれでもできることとも思いません。

 私自身は今日まで「指導が厳しすぎて不適切」ということで保護者から責められたことはありません。しかしそう言われたら次のような言い方で返答しようと思っています。
 子どもが悪いことをした時、私は怒鳴っても脅しても、なだめてもすかしても(昔なら暴力をふるってでも)絶対に白状させ、謝らせなければならない、少なくともその直前まで追い込まなければならないという思いがあります。そうしなければその子が可愛そうだと思うのです。

 犯罪がばれずに済んでしまったとき、それでまんまと逃げおおせたと喜ぶような子は、また同じことを繰り返し、罪を大きくしますからその意味で可愛そうです。
 一度で懲りてもう絶対にやるまいと思っている子も、ばれなかったことで叱られることも許されることもありませんから可愛そうです。告白もない代わりに許しもない、誠実な子であればあるほど、してしまったことの記憶は長く引きずらなくてはなりません。
(私自身、犯罪ではありませんが、勇気がなかったばかりにすべき親切をしなかった小学校2年生の記憶を、長く引きずりました)
 悪いことをしたら洗いざらい告白し、罰を受け、許しを与えられ、その上ですべて忘れる、そうした手続きが必要です。
 だから私は容赦しません。

 そういうことです。