カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「親にできなくても、子に要求しなくてはならない場合がある」~禁煙なんて、まさにそうだ

 先日、友人と飲む機会があって、その席で息子がタバコを吸い始めて困っている、という話が出てきました。そんなの何が何でも止めさせればいいじゃないかと言うと、「オレ自身が吸うから、強く言えない」と言います。
 待て、それは違う、と思いました。

 親ができないから子ができなくていいというのは、子は親と同じ程度でいい、親を越えてはいけないというのと同じです。それは、子どもが東大に入れそうにないとか、オリンピック選手になれそうにないといったとき、自分を慰めるために使う言葉であって、タバコを吸うか吸わないかは、別の問題です。

 タバコは1日に吸う本数×喫煙年数が400を越えると突然「発ガン・リスク」が高まります。18歳で吸い始め1日一箱ずつ吸うと20年、38歳の時にガンになる可能性が高まるということです。

 38歳といったらどんな年でしょう。
 結婚して数年、子どもが小学校と保育園くらいで一番親を必要とするときです。社会的にはようやく指導的なポストを与えられ、会社や組織に大きな貢献ができる時期でもあります。もしかしたら家を建てたりマンションを買ったりして、大きな借金を背負うのもこの時期かもしれません。
 そんな大事な時に、ウチの息子が倒れるかもしれないといった具体的なイメージが浮かべば、命にかけてもタバコをやめさせようと思うのは親として当然のことだと思うのです。

 もしかしたら友人は「タバコを止めてもらいたい」という自分の思いの、本当の意味に気づいていないのかもしれません。世間体が悪い、法律上悪い、だから自分は止めてもらいたいと思っている、そんなふうに勘違いしているのかもしれません。

 タバコに限らず、親にできないことで子どもにやってもらいたいこと、子はできなければならないことは山ほどあります。そしてそれはさせるべきです。そうでなければ親になった甲斐がないじゃないですか。