カイト・カフェ

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「美しく身を処する子に」~子どもは小さな時から仕込まなくてはいけない

 昨日、お祭りの会場で田口先生のお子さんに会いました。1歳半になったそうです。他人の子どもの成長は本当に早いものです。
 昔の人は、躾は一歳半からと考えていました。まずはトイレットトレーニング。がんばってほしいです。

 『躾』というのは読んで字のごとく、身の処し方を美しく仕立てることを言います。これについて、私はとても素敵な文を知っていますので紹介します。前にも話したことがあるかもしれませんが、何度読んでもよい文章なので、繰り返してもかまわないでしょう。

「松を見よ」

 子を育てるには、授乳の時期からだんだん仕込むようにしなくてはだめだ。
 まだ小さいからといって、気ままにさせておいて、さあ大きくなったからといって、急に行儀だ言葉だとやかましく言っても、直るものではない。

 あの植木を見なさい。小さい時からいつも気をつけて手を入れた木と、生えてきたまま自然にしておいた木と、どのくらい違いがあるかしれない。
 大きくなって枝を曲げたり切り込んだりしてみても、木が傷むばかりで、とても小さな時から手を入れた木のようにはならないものだ。

 それと同じことで、はいはいをしない前から気をつけて教えていけば、ご本人は少しも難儀ともつらいとも思わずに、自然にいろいろ覚えるけれど、大きくなってしまってから急に行儀を教えると、本人は窮屈で苦しいものだから、人前ばかりで行儀をよくしても、人のいない所ですぐくずしてしまうので、とてもほんとうの躾はできない。(和田英「我母之躾」)

 素敵な文でしょ?