カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「でんでんむしの悲しみ」~みんなが同じならいいじゃないかという認識

 今日7月30日は、新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 ― 1943年3月22日)の誕生日だそうです。

 南吉は愛知県半田市の出身で、本名は新美正八(旧姓:渡辺)、複雑な家庭に育ち、生涯病弱なまま過ごしてわずか29歳で結核で亡くなった人です。ごく短い教員経験と貿易商社員の経歴があります。独身で、もちろん子どももありません。

 言うまでもなく「ごんぎつね」の作者として有名ですが、私は最近、この人の「でんでんむしの悲しみ」という物語を知りました。

でんでんむしの悲しみ    新美南吉

 一匹のでんでんむしがありました。

 ある日、そのでんでんむしは、たいへんなことに気がつきました。
「わたしは今まで、うっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には、悲しみがいっぱいつまっているではないか。」
 この悲しみは、どうしたらよいでしょう。

 でんでんむしは、お友だちのでんでんむしのところにやっていきました。
「わたしはもう、生きていられません。」
と、そのでんでんむしは、お友だちに言いました。
「なんですか。」
と、お友だちのでんでんむしは聞きました。
「わたしは、なんという、不幸せな者でしょう。わたしの背中の殻の中には、悲しみが、いっぱい詰まっているのです。」
と、初めのでんでんむしが、話しました。

 すると、お友だちのでんでんむしは言いました。
「あなたばかりではありません。わたしの背中にも、悲しみはいっぱいです。」

 それじゃしかたないと思って、初めのでんでんむしは、別のお友だちのところへ行きました。
 すると、そのお友だちも言いました。
「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも、悲しみはいっぱいです。」
 そこで、初めのでんでんむしは、また別の、お友だちのところへ行きました。

 こうして、お友だちを順々に訪ねて行きましたが、どの友だちも、同じことをいうのでありました。
 とうとう、初めのでんでんむしは、気がつきました。
「悲しみは、だれでも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの悲しみを、こらえて行かなきゃならない。」
 そして、このでんでんむしは、もう、嘆くのをやめたのであります。

 私は子どものころとても貧乏でしたが、日本中が貧乏でしたので何の苦しみもありませんでした。

 小学校の頃、クラスにジャイアンみたいなヤツがいて、あとから考えるとプロレスゴッコにつき合わされたりしてずいぶんイジメられていましたが、そんな子は他にもいっぱいいましたから、大人になるまで自分がイジメられていたことに気づきませんでした。   

 そういうことです。
 今は何が違うのでしょう?