知的虚栄心の話

 先日読んでいた雑誌の中で「知的虚栄心」という言葉に出会い、心ひかれたのでお話します。知的な分野での見栄っ張りのことです。

 そういえば私自身、どこにでも首を突っ込み「ボク、それ知ってるよ」と一通り口を出さなければ気のすまない性質でした。おまけに著しい知的自己チューで、自分が知って楽しかったことは他人も楽しいに違いないと思い込んでいますから、始末に負えません。嫌なガキだったものです。もちろん今でもそんなガキはまま見られます。しかしそのあとが少し違っています。

 長じて高校生のとき、大学生の愛読書のトップがドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だと聞くと、これだけは先取りして高校生のうちに読んでやろうと誓い、大学生になるとマルクスの「資本論」とサルトルだけは読んでおかないと恥だと、本気で信じていたのです。問題は、これが私という特異な少年の特異な物語ではなく、そんな高校生、そんな大学生はウジャウジャいて、むしろ主流だったということです。今はおそらくそういうことはないでしょう。

「見栄で家を飾ることが生活を豊かにし、見栄で善行を重ねることが社会を豊かにするように・・・」と雑誌にはありましたが、見栄で知的な蒐集を重ねることがどれほど高い知的水準を維持してきたか、改めて考えさせられた一文でした。

 そんな見栄っ張りな、アカデミズム(学問至上主義)みなぎる学校をつくりたいものです。