裏切りの教育

 結局、ケータイの校内持ち込み願いは5件(4家族)になったそうです。「特別な理由」の内容は「一人で歩く距離が長い」「不審者にあったことがある」といったものですが、すべて認めることになります。「他にもそんな子はいる」とか「(不審者に)また会うとは言えない」とか説得の道は残されていますが、ケータイごときで保護者と対立しても何のメリットもないので、「許可」です。

 ケータイの害は個人的なもので、学校に持ち込まれることにはあまり害はありません。したがって学校にとってはたいした問題ではない、とも言えますが何かすっきりしません。

「学校が認める」というのがいやなのです。

 普通、学校の教員は自分の子どもに対しては絶対にケータイを認めません。渡して良いことはほとんどない、と知っているからです。それを、他のお宅の子どもに対して「いいですよ」というのは、ひどい裏切りのような気がするからです。

 ただし、意地悪な私のもう一面は、別のことをつぶやいたりもします。

 どうせもう、たくさん裏切ってきたじゃないか。

 宿題をしてこなくても優しく語りかけるだけで怒鳴ったり罰を加えたりしない。

 生意気なことを言っても罵倒したりしない。

 呼び捨てにせず必ず『さん』付けで語りかける。

 忘れ物をしたら叱ったりせず代わりの物を貸してあげる、そのための用意をしておく。

 そういったことはクラスの子どもにはしても、自分の子には絶対しないことだ。

 自分の子どもだけ良くなればいいと思ったわけでもないのに、結局、良い教育・正しい教育は自分の子にしかしてないじゃないか

 ということです。