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「コペルニクスの日」~彼が世に出るためには、条件がそろわなくてはならなかった

 今日2月19日はコペルニクスの誕生日だそうです(1473年)。

 コペルニクスは地動説(正確には太陽中心説)を唱えた人として有名ですが、地球が自転しており、太陽を中心として六つの星(肉眼で見える五つの惑星と地球)が公転しているというアイデアは、すでに紀元前280年に、ギリシャアリスタルコスという学者によって唱えられていました。その後1800年ものあいだ誰にも省みられなかったのは、わずかな誤差はあるものの、天動説で殆どのことが説明できてしまったからです。

 しかしコロンブスの新大陸発見(1492年)などによっていよいよ地球が球形だと再認識され、大航海時代の船乗りによって星の観測が日常化すると、そのわずかな誤差が改めて問題になってきます。コペルニクスはその誤差はアリスタコラスの太陽中心説によって説明できると信じ、数学的に証明してみせました。それが彼の死後出版された「天体の回転について」という著書です(1543年)。

 ところで、ケプラーが地動説を支持したのが1597年、ガリレオが初めて裁判にかけられたのが1616年です(2度目が1637年:終身刑)。つまりコペルニクスの著書が出て50年たっても地動説は相変わらず異端のままだったのです。

 それはルター以来、勢力が弱ったとはいえまだまだ力のあったカトリック教会が弾圧したこともありますが、なんといっても地動説が未完成だったこと、そしてその裏返しで天動説がまだ多くのことを説明し、日常生活もまったく困らなかったことに主な原因があるようです。

 日本の年号を合わせてみると、コペルニクスの誕生の6年前に応仁の乱が起き、没年に鉄砲が伝来しています。ガリレオの一回目裁判の前年、大阪夏の陣があって徳川の安泰が決定的になり、2回目裁判の同年に島原天草の乱が起きています。

 ガリレオ一回目裁判の1616年にイギリスでシェークスピアが亡くなっていますが、この人は1564年生まれです。私は「人殺し」(1564)に生まれて「いろいろ」(1616)やって死んだ、と覚えました。

 面白いでしょ?