カイト・カフェ

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「アダルト・チルドレンと呼ばれた人々」~機能不全の家庭に生まれた子を、親に任せることはできない

 一世を風靡した「アダルト・チルドレン」という言葉も誤用を重ねるうちにわけが分からなくなり、最近ではトンと聞くことがなくなりました。もともと学術的用語ではないので消えるのはかまわないのですが、本来の意味である「機能不全の家庭で育ったことにより、成人してもなお、生活に支障をきたすほどの心に傷や性格のゆがみを持っている人々」を表す、別の言葉が生まれてくれないので困ります。そうした人々のことを話すときに、不便なのです。

 昨日もひとりの児童について話をしている最中、そうした人々のことが頭に浮かびました。
 子どもは自分にふさわしい家族を選んで生まれてくるわけではありません。ですからたまたま生まれたその家のあり方によって、生涯つらい思いを抱えて生きていかねばならないとしたら、それは本当にやりきれない不幸です。
 しかし裏を返せば、その親にしても親業をどこかで学べたわけもなく、学べたとしてすべてに通用する万能の育児術があるわけでもありません。ただ、その人が育った家庭のやり口、現代の家柄とも言うべき『家風』に従って子を育てているに過ぎないのです。

 昔、問題を起こした女子中学生の母親と話し合っていたところ、こんなことを言って嘆かれたことがありました。
「私は3歳で母親を亡くし、ずっと父子家庭で育ってきました。主人は母子家庭の男の子として育ちましたから、夫婦して見習うべき同性の親を知らないのです。だから、育て方が分からなくて・・・」

  家庭が悪い、親が悪いといって(実際にそうであったとして)も、機能不全の家庭に期待をかけてもうまく行くはずはありません。現在の日本において、組織的に子どもを教育できるのは学校だけです。諸外国のように教会や寺院、あるいは党組織がその役を担ってくれるのならまだしも、そうでないからには、私たちが頑張るしか、彼らを救う方法はないのです。
 頑張りましょう!