二つの神話


 ギリシャ神話では、最初の人間の女性であるパンドラが、ゼウスから贈られた「決して開けてはいけない箱」を開けて、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪といったあらゆる役災を地上に広げてしまいます。

 それとは反対に、21世紀の日本で「学校」という箱を開いたら、あらゆるものがその中に入り込んできた、そんな感じがします。

 合理的なものもまったく不合理なものも含めて、社会の厳しい目が学校を見つめ、機会があればひとこと言わずに済まさない、そんな感じなのです。

「悲鳴をあげる学校」の著者である小野田正利は、これについて、二つの学校神話が関係していると言います。

 一つは、むかしからの「学校神話」です。それは「学校というのは子どもたちのためには何がなんでも全力を尽くすべき存在だ」というものです。(略)もう一つは、ここ五、六年ぐらい前から、(略)意図的につくり出されてきた神話です。つまり、それは「学校はすでに機能不全におちいっている。かくなるうえは構造改革を徹底的におこなうべき存在なんだ」というものです。

 私はこの二つの「神話」はともに神話であり、実像ではない、そして誤っていると思います。前者は「ほめ殺し」です。(略)後者はまさに「やらずぼったくり」的な評価と決めつけです。つまり学校にきちんとした環境条件を与えずに、もうダメな存在だと決めつけて切り捨てていく、まさにえげつない主張です。

 前者について、これは私たちも信じている神話です。しかし自分たちで言うのと、外から要求されるのとでは意味が違います。後者については、明らかに間違っています。

 この二つが神話であることを、世間に対して繰り返し訴え、納得させていかなくてはならない、私はそんなふうに思います。そうしないと教師は立場を失うし、私たちの立場が危うくなれば、その被害は子どもたちがすべて背負わなければならないからです。

 昨日、強くそのことを思いました。