「目をかけてやらなければならない子」~藤野先生のこと②

 魯迅の「藤野先生」のかなり初めの方に、こんな一節があります。

『一週間すぎて、たしか土曜日の日、彼は、助手に命じて私を呼ばせた。研究室へ行つてみると、彼は、人骨やら多くの単独の頭蓋骨やら──当時、彼は頭蓋骨の研究をしていて、のちに本校の雑誌に論文が一篇発表された──のあいだに坐っていた。
「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」
 私は、筆記したノートを差出した。彼は、受け取って、一、二日してから返してくれた。そして、今後毎週持ってきて見せるように、と言った。持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終りまで、全部朱筆で添削してあつた。多くの抜けた箇所が書き加えてあるばかりでなく、文法の誤りまで、一々訂正してあるのだ。かくて、それは彼の担任の学課、骨学、血管学、神経学が終るまで、ずっとつづけられた。』
 百年前から今も、日本の教員は少しも変わっていません。

 違うのは、仙台の医学専門学校では特別に目をかけてあげなければならない学生は中国留学生の魯迅くらいなものだったのでしょうが、現代の小中学校には一クラスに何人もいる、それだけのことです。