埼玉県の川口市で中学3年生の女の子が父親を殺すという事件がありました。特殊な心理状態での寝ぼけた上での犯行としか思えないような特異な事件で、とても一般性のあるものではありません。しかしその報道を聞いていて、とても気になることがありました。それは「近頃の少年犯罪は、いずれも『良い子』によって起こされている」といった考え方です。
「良い子が危ない」という言い方はここ10数年繰り返し言われてきたことです。
「子どもたちは『良い子』であることを強制されている。そしてそれが担いきれなくなったとき爆発する」
といった論理です。しかし本当に『良い子』は危ないのでしょうか?
そう思ってみると、ニュースで言われる「突然事件を犯した『良い子』たち」が、実は『良い子』でもなんでもないことが分かります、彼らは単に犯罪歴のない、目立たない(その意味ではどこにでもいそうな)子なのです。しかし同時に、彼らは等身大に自分を受け入れず、孤立し、あるいはネットの中にしか人間関係を持っていません。つまり彼らは『良い子』でも何でもなく、世の中に沈潜して何かを固めて静かにしている子たちなのです。
私たちは、真面目で、けなげで、ひたむきで、といった本当の『良い子』をたくさん知っています。そういう子たちが将来犯罪者になる可能性は皆無です。もしあるとしても、今回の川口事件のような極めて稀な場合だけです。
良い子の親たちが不安になり、悪いこの親たちが安心するような世の中は屈折しています。だから私たちは自信をもって次のように言わなくてはなりません。
「良い子も危ない。しかし悪い子はもっと危ない!」