カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「強い子を育てよう」~昔は「貧乏」という優秀な教師いて自然に子どもを鍛えてくれたが・・・

 一方に、単に人間関係のトラブルで敗者となっただけなのに「いじめられた」「いじめられた」と騒ぐ子がいるかと思えば、他方に、些細なことで傷ついて「相手をどんな目に合わせてもこの傷は癒されない」とばかりに嫌がらせだの暴力だのを平気でできる子がいる。

 いじめる側もいじめられる側も被害者意識いっぱいで、歩み寄るということができず、いつまでも根に持ったままにっちもさっちもいかない、そんな経験を昨年、私たちはしてきました。
 しかし、生きていくことは年中トラブル続きで、いやなことは山ほどある。でもいいこと楽しいことは、その気になれば、その何十倍もある、それが普通です。

 世間には気の合う人と合わない人がいて、今日親友のようなつもりでいても、突然気が合わないことに気づいて去っていく人がいる、そんなのは当たり前のことです。
 世の中には仕事の出来る人もできない人もいて、早い人も遅い人もいる。だから能力のある人は力のない人の仕事を肩代わりしなければならないときがある。それは迷惑をかけられているとか、わざと嫌がらせをされているということではなく、ごくごくありふれたことだということ、

 無視されたって嫌われたって、しばらく一人ぼっちで頑張っていれば、そのうちに埒は明くということ、
 世の中、自殺しなければならないようなことは何もなく、たいていのことは何とかなるということ、

 それらことは経験の中で、適切な負荷をかけることによってしか身につかないものです。
 子どもとはいえ、もう少し強くしないと、イジメも不登校もなくなりはしません。

 60年以前の昔は、「貧乏」という優秀な教師いて自然に子どもを鍛えてくれました。しかし今は意図的な教育によってしか、それは成し遂げられないことです。
 そして家庭がそれをやらない以上、私たちがやるしかないのです。
 強い子を育てましょう。