カイト・カフェ

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「学問の霊媒師」~私たちはなぜ授業の始めと終わりに挨拶をしあうのか

 きちんと挨拶をしない生徒たちへ――。
「授業の始まりと終わりのあいさつを、しっかりしましょう。

 ところで、勉強を教わるキミたちが先生に向かって「お願いします」「ありがとうございます」というのは当然だとしても、先生も一緒になって「お願いします」「ありがとうございます」いうのは何故か、考えたことがありますか?
 それは実は、この教室の中にたくさんの神様がいて、その神様に対して、「お願いします」「ありがとうございます」と言わねばならないからです。

 例えば、中世ヨーロッパにいた錬金術師たちは、「金以外のものから純金を生み出す」という意味ではまったく仕事をせず、生涯を馬鹿なことに費やした人たちです。しかし彼らは金以外のたくさんのものを生み出しました。その意味では化学の神様たちなのです。
 アルキメデスは、戦乱の最中にも地面に図形を書いて研究しているような人でした。その図形を敵国の兵士に踏み潰されたために「私の円を崩すな」と叫んで逆に殺されてしまいました。
 19世紀に生きたエヴァリスト・ガロアという青年は、つまらない決闘のために20歳で命を落とした人ですが、死ぬ直前に書いた数学の論文は「ガロア理論」として今日も大変な力を持っています。

 たくさんの人が学問のために身を奉げました。大変な貧乏をしたり、たくさんの家族を死なせながら学問を続けてきた人が山ほどいるのです。

 さて、先生がキミたちの教えることの大部分は、そういう人たちが発明したり発見したりしたことです。先生自身が見つけ出したことは、ほとんどありません。その意味では先生たちは一種の霊媒師なのです。ですから先生を尊敬したり、先生を素晴らしいと思う必要はないのかもしれませんが、しかし先生の後ろにいるたくさんの神様のことは尊敬し、信頼を寄せなければなりません。

 キリスト教を信じる人は、十字架の向こうに神様を感じるから拝むのです。十字架という木の固まりが大切だからではありません。仏像を拝む人も、金属の像を拝んでいるのではなく、仏像を通してその先にいる仏様を拝んでいるのです。

 同じように、キミたちには先生を通し、先生の後ろ側にいる神様たちを拝む必要があります。私たちはそうした神様に囲まれながら勉強しているのですから」