カイト・カフェ

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「何が大切なのだろう?」~学校問題のどこから手をつけるのか

 2004年の中越地震で新幹線が脱線した際、マスコミは「安全神話の崩壊」と大きく報道しました。2007年の中越沖地震では柏崎刈羽原発で火災が発生し、敷地内に大きな亀裂が発生したために、これも「原発の危険性が露呈」したということで大きく報道されました。新幹線も非常に危険で、原発原子爆弾を抱えているようなものだという印象でしたが、しかし諸外国の報道は正反対でした。

 駅手前で減速中だったとはいえ時速200kmを超える速度で走っていた列車が震度7地震にあって転覆もせず、一人の死者負傷者も出さなかったというのはむしろ「安全神話」を再構築してもよさそうなできごとです。
 刈羽原発は想定をはるかに上回る地震でも、本体に深刻な問題が発生しなかったという点で、日本の技術が高く評価されるべき話でした。

 さて学校問題について、世の中の人たちは何を最大の問題と考え、何を2番3番と考えているのでしょう?
 指導力不足の教員が授業をしていることでしょうか、イジメ問題でしょうか。それとも不審者の問題なのか、学力低下の問題か……この問題で私たちは「世間の人」ではないのでよく分かりません。
 単純に人数だけでいえば学力問題が最大で、次が不登校、イジメ問題が3番目で、指導力不足教員、不審者対策となりそうですが、そういうものではないでしょう。それに「イジメ問題の報告は氷山の一角で、実際にはその10倍以上の件数がある」などといった言い方をし始めると、数字による順位だって狂ってきます。

 マスコミの様子を見ていると、子どもが犯罪に巻き込まれる危険性が1番、第2位が教員の質の低下、イジメが3位といったところでしょうか。

 しかし私たちは私たちの独自の規準があるはずです。
 どれもこれも大切なのは当たり前ですが、どこかで優先順位をつけておかないと、対応を誤るからです。

 考えておきたいことですね。