カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「分かっちゃいるけど・・・」~分かっていながら、いつまでもできない自分や子どもを許す

 植木等という人はとてもまじめな人で、若い頃、どうしても芸能キャラと合わないので、実家の父親に相談したことがあります。

 僧侶である父親が「お前どんな仕事をしてるのだ?」と訊くので青島幸男の作った詞を見せると、「う〜ん」と唸って、
「これは仏の道に通ずる歌だ。この人は天才かもしれない。付いて行きなさい」
――そして芸能史に名を残すコメディアンになったといいます。

「分かっちゃいるけど、やめられない」という『スーダラ節』の一節が好きで、時々思い浮かべるようにしています。いい加減で良いという意味ではなく、そういう自分を、許してやらなければいけないと思うのです。分かっていてもできない、そういうことがしばしばあるのが人間で、そんな自分を必要以上に責めてはいけない、いつも気にしていればそのうちきっとできるようになるはずだ、という意味です。

 何度でもバカを繰り返す子ども、幾度叱っても同じことをやってしまう子ども、そういう子たちと付き合っているとしばしば苛立つこともありますが、そんなとき心でつぶやいて気分を落ち着けるおまじないの言葉、それが「分かっちゃいるけど、やめられない」です。
 いつかきっとできるようになるよね、君だって。
 そういう意味です。