尾木直樹著『バカ親っていうな!』(角川書店 2008)を読んでいますが、その中に、遠足に児童の弁当を作らされた教師の話が出てきます。どうしてそんなことをしたのかと訊ねる尾木たちに、
教師は、
「だって、その子が遠足に来られなくなるから・・・」
その言葉を聴いて、尾木たちは強いショックを受けます。
このような身勝手な保護者に直面させられた教師が、その言い分がどれほど理不尽なものであるかを話して、そうした姿勢を改めさせようと試みたところで、簡単に納得してはもらえません。そうなればおそらく、「では、子どもを遠足に行かせない」となるか、「子どもは弁当を持たせないで行かせますから、放っておいてください」となるかのどちらかです。それが、子どもを親に″人質″にとられる学校としての怖さです。
このとき、保護者の要求をきっばり断れないのは、教師が弱いからではなく、子どもに対する″深い愛″を持っているからです。
尾木直樹という人は、しばしば「これが本当に元教員か」と思うほどいい加減な教師批判を書く人です(と私は思っています)。しかしそうした尾木が上のような文章を書くようになったことに、私はショックを受けました。
機を見るに敏なこの人が、教師・学校批判の矛を納め、臆面もなく「教師が子どもに″深い愛″を持っているから」と書く、つまりそう書いても批判されない・・・人権派の教育評論家として食っていける見通しがついた、ということなのかもしれないと感じたからです。もしかしたら、風向きは変わるのかもしれません。
もちろん教師が、教師だというだけの理由で尊敬されたり尊重されたりする時代が、おいそれと戻ってくるとは思いません。しかしまだまだこの仕事は見捨てたものではないのかもしれないのです。
確かに私たちはどの子も見放さず、いつでも必死に支えようとしているのですから。
それも愛のために。