カイト・カフェ

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「3月3日、アン・サリバンがケラー家にやって来た日」~もはや奇跡の人は生まれようがないが、それでいいのか

 今日、3月3日はひな祭り(上巳の節句:じょうしのせっく=元は3月上旬の巳の日)です。しかし同時に「耳の日」でもあります。
耳の日」というのはもちろん「三(み)」が二つ並ぶところから始まった語呂合わせですが、不思議なことに耳に因縁のある事件が二つも重なっています。

 ひとつはこの日が、電話の発明者グラハム・ベルの誕生日であることです。電話の特許申請自体は、ベルよりも1ヶ月も早くエジソンが出していますし(書類不備のため却下された)、その後、実用化された電話機はエジソンの改良型を基礎としていますから、実質的にはエジソンにこそ軍配は上がります。しかし歴史上、電話機の発明はベルの功績とされなければならないのは当然でしょう。

 もうひとつの因縁は、1887年のこの日、アン・サリバンがヘレンの家庭教師としてケラー家にやってきたのです。
 アン・サリバンは伝説の人ですから説明の要はないと思いますが、この「奇跡の人」(この称号はヘレンではなく、アンに与えられたものです)が、ヘレンの家庭教師になったのが、わずか21歳の時だったということは、何度でも思い出さなくてはなりません。21歳にして偉大だったということも、21歳だったから無茶ができたということも、同時に言えます。
 さらに考えておかねばならないことは、アンのやったことが、今日ではもう許されないということです。その教育は、現在の基準に合わせれば、体罰にも虐待にも当たるからです。
 ただし、私は限りなくアン・サリバンに憧れます。アン・サリバンでなければ後のヘレン・ケラーは育てられませんでしたし、アンがいなければヘレンは生涯、富豪の家の野生児で終わっていたからです。
 そんなことは、教員として我慢できないことです。