カイト・カフェ

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「エイリアン・ロジック」~保護者のわけの分からない理屈に対抗する

 深夜のゲームセンターに幼児を連れ歩く若い夫婦を、補導員が注意したら逆に怒鳴られたという話を聞いたことがあります。
『お前たちは、父親が子どもと遊ぶことが大事だといいながら、なんでオレたちを叱るわけ? 昼間忙しく働いているんだからオレには夜しか時間がないんヨ。その短い時間を子どもと遊んでやろうとしてるのに、何がイケンのよ! 疲れていても子どもと遊んでやろうというオレの、どこが悪いんヨ!』
ということです。一見納得させられるような論理ですが、直感的に「これは変だ」と感じるようなロジックには、必ずまやかしがあります。

「昼間忙しく働いているから夜しか時間がない」というのは事実でしょうし、「父親が子どもと遊んでやることが大切」ということは正義です。また「短い時間を子どもと遊んでやろうとしてる」というのはすばらしいことですし、「疲れていても子どもと遊んでやる」というのは見上げたことです。
 しかし補導員が指導したのはそういった部分ではなく、「子どもと遊ぶのが深夜でいいのか」「ゲームセンターがふさわしい場のか」という点だったはずです。その根本的な部分をまったく捨ててしまい、それ以外のところに論理を積み上げて押してくるのです。

 この場合は、こんなふうに言ってやればよかったのです。
「夜しかないなら、今遊んでやるしかありませんよね。でもこういう場所は子ども向きではありませんから、ぜひ家に帰って子どもを布団に入れ、本の読み聞かせをしてあげなさい」とか、夏だったら「すぐ寝ましょう。お父さんも疲れてるんだから。明日、一緒に5時起きして、誰もいない児童遊園地でジャングルジムでもやらせるといいですよ」とか。

 どうせ相手は言うことなんか聞きやしませんが、議論には勝てますし、勝てばいつまでもゲームセンターにいたりはしないでしょう。 要は、相手が投げ捨てた本質の部分にこだわり、絶対に放さないことです。
 かつて常識では測れない若者たちを「新人類」と呼んだ時代があります。ところがさらに分からない若者たちが出現して、彼らは「異星人」とか「エイリアン」とか呼ばれました。そしてそれ以後の世代は、名前すら付けてもらえないほど常識から遠いところに行ってしまいました。
 その「彼ら」が、今や親となって私たちの前にいるのです。