阪神淡路大震災の教訓

 明日1月17日は、阪神・淡路大震災の13年目の記念日です。

 

 1995年(平成7年)の1月17日火曜日、午前5時46分52秒、淡路島北部を震源とするM7・3の地震によって、阪神淡路地域は壊滅的な打撃を受けました。死者は6400名余、負傷者は44000人ほどにもなりました。

 

 この地震については、さまざまな面で多くの思いがあります。

 

 それはたとえば、

 震災の直後に阪神地方では劇的に不登校が減ったとか、

 開設した「いのちの電話」に被災地の外から不安を訴える大量の電話が入ったとか、

 大阪市内から路上生活者いっせいに消えたとか(被災地に移動して支援物資にありつこうとした)、

 須磨区ではのちに酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年が心のキバを研いでいた、

 とかいったことです。しかし最近思っているのは、それとは別のことです。

 

 この震災に際して、被災地で一件の略奪もなく、人々が整然と並んで買い物を続けた姿は世界中に驚きの目をもって伝えられました。そして、そのことは海外の報道として逆に日本のテレビニュースでも繰り返し伝えられました。しかし世界を驚かせた事象は他にもあって、たとえば震災直後から各地で立ち上がった被災者自身によるボランティア組織が、非常に迅速に、整然と活動を続けた事実も、海外で広く伝えられていたのです(こちらの方はあまり報道されませんでした)。

 

 海外の研究者たちは、それを日本の教育の成果だと考えました。

 小学校1年生から高校の3年生まで、繰り返し行われる特別活動(学級内の係活動や児童・生徒会活動、清掃活動や奉仕的活動、運動会や修学旅行といった各種行事おける係活動)の中で、日本人はきわめて優れた組織性を身につけたと考えたのです。

 

 もはや学力中心の時代に移って、政府も世間の人々もこうした活動の重要性に見向きもしませんが、阪神淡路大震災のときに発揮されたこのような力は、自然に身につくものではありません。それがどこで養われてきたのかと考えると、やったのは学校以外に考えられないのです。

 

 確かに学校の果たす役割として学力をつけることには最大級の努力を払わなくてはなりませんが、だからといってこうした重要な教育を放棄しては元も子もありません。阪神・淡路大震災の記念日を前にして、こうしたことも教訓として心においておきたいものです。