カイト・カフェ

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「子どもにとっての内と外」~内外を隔てるドアの位置がまったく違う

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 まったく世間に疎く、昨日になって初めて、世の中にはかかと部分のないスニーカーという摩訶不思議なものが存在することを知りました。
 どうせ普通の靴を履かせてもかかとを踏んづけてしまうのだからかかと部分なんかいらない・・・合理的といえばその通りですが、理屈に合っていても天の公理にあっているとはとても思えません。こんなものを履かせて学校に出す、親の気持ちも分かりません。

 さて、靴のかかとを踏んづけて歩くやり方を「サンダル履き」というのかと思っていたら、「そうではない、スリッパ履きというべきだ」と主張する人たちがいます。
 彼らによると、要するに、かかとを踏んづけて町を歩く子どもたちには「内と外」の感覚がないのだそうです。スリッパのまま出てきているのですから、家の中でそうするように、どこに行っても座り込む、へたり込む、しゃがみこむ。家でするように平気で食べ物を口にし、大またを開き、化粧する。
 では「外」がまったくないのかというとそうでもないらしく「彼氏の前でも化粧を直すのか」と訊くと確実に「ありえない」と答えますから、好きな男の子はどうやら「外の人」らしいのです。そこまで行かないと「外」になりません。

 ところがそれとはまったく逆に、「外」が恐ろしく身近にある子どもたちもいます。いわゆる「引きこもりの子」たちです。彼らにとって自室のドア1枚の向こうはすべて「外」です。親兄弟ですら気を許せる人ではありません。

 同じ世代でありながら、「内」と「外」を隔てるドアの位置がまったく異なるのです。一方は果てしなく遠いところにドアがあり、他方は目の前のドアにこだわっている。要するに、他人との距離感が、まったく適正ではないのです。