カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「教えなければ身につかないものがある」~教育は意図的な営みだという話

 紅葉のシーズンが近づいてきました。山々が黄や赤や茶に彩られます。観光客の入込みも多くなりますから交通にも気をつけなくてはなりません。学校の木々の落ち葉の始末も気になります。

 ところで紅葉の山々の美しさを、子どもたちは本当に分かるのでしょうか? 
 というのは、私自身が紅葉の美しさを理解するまで大変な時間がかかったからです。私にとって紅葉の黄や茶色やくすんだ赤は、単なるウンコ色の汚い風景でしかなかったのです。その美しさがわかったのは、だいぶ大人になってからのことでした。

 同じように、大人にならないと分からない美しさや良さというものがあります。
 特別な子でない限り、酢の物の味わいを理解するのは困難でしょう。古寺名刹の良さといったものもなかなか難しいものがあります。

 ベートーベンやモーツァルトは比較的分かり易くても、プロコフィエフショスタコーヴィッチとなると修練が必要でしょう。ミレーやユトリロは分かっても、ミロや雪舟は分かりずらいかもしれません。モネが安藤広重を模写したことは、美術史を学ばなければ理解できませんし、ピカソの絵をいきなり素晴しいと感じる子どもの感性など、私にはとうてい想像できはしません。これらは経験を通して学ぶしかないことなのです。

 自然に放っておいても身につくものと、きちんと経験させなければ身につかないものがあります。