カイト・カフェ

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「総合的な学習のことを世間に説明する」~成果が見えないと非難されています

 総合的な学習に冬の時代が訪れています。
 総合的な学習の時間が悪いというわけではないのです。それによって削られた算数や国語の時間に対して「総合的な学習の時間」の成果があまりにも見えないではないか、というのが本旨です。社会はなかなか性急で、成果がすぐに出ないと納得してくれません。
 生きる力だの問題解決能力だの抽象的なことをいくら並べても、目に見えないものは信じてくれないのです。

 さて、最近、私は総合的な学習の時間に関する、一つの素敵な文章を手に入れました。それは次のようなものです。
 総合の時間では、大きなテーマをする時には、多くの準備が必要なこと、解決方法を考え、粘り強く取り組むことの大切さを学びました。高校では、行事の企画・運営をするときに、大学ではほとんどの授業に生かせました。他の生徒がうまくいかなくて悩んでいる時も、私は小学校での経験を生かして、自信をもって進めることができました。この自信が、私の積極性につながって行ったと思います。

 言うまでもなく、総合的な学習の時間に目指す「生きる力」はこうしたイベント遂行能力だけではありません。しかし、「生きる力」だの問題解決能力だの抽象的なことをいうのではなく、部分的ではあってもこんなふうに説明すれば世間の人たちは分かってくれるのかもしれません。

 私たちはこれまで、総合的な学習について大変な努力を重ねてきました。簡単に潰されることのないよう、十分に気を遣い、大切に育てて行きたいものです。