カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「”天は人の上には人を”は、平等の話ではない」~言葉の誤用

「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
 福沢諭吉の有名な言葉です。これをもって福沢諭吉は平等主義者ということになっていますが、「学問ノススメ」続きを読むと、意外なことが書かれています。
 ところがいま、広くこの社会を見渡すと、賢い人がいたり、愚かなる人がいたり、あるいは貧しき人、富める人、身分の高い人、低い人もいて、人の生き方に雲泥の差があるのは、なぜだろう。その理由はじつにはっきりしている。『実語数』 (江戸時代に寺子屋で使った教科書)という本に、「人、学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあるように、賢い人と愚かなる人との差は、学問をしたかしないか、によって決まるのである。
 だから学問をしなさい(=「学問ノススメ」)となります。
 この書の歴史的価値は、学問が出世の道具となり結局は金や地位につながるということで日本人のその後の生き方を決定的に運命づけたことにあります。

 ところで、これを思い出したのは今日の朝刊で、新しい農相となった若林正俊議員の事務所が「火中に栗を拾うようですが・・・」というコメントを出していると聞いたからです。
「火中に栗を拾う」はもともとイソップ物語に出てくる話で、意地悪なサルにだまされた猫が火の中の栗を拾おうとして大やけどをする物語です。意味も「人のためにあえて危険を冒す」ということですが、安倍さんを意地悪なサルにたとえるのもいかがなものかと・・・それで思い出しました。