見る目の育て方


 織田先生はしばしば、東京まで出かけ、一流の美術展などを見てこられるようです。素養・教養という点で見習いたいところです。

 しかしそうは言っても、ミロだのマチスだのピカソだのといったわけの分からない絵を見に行くのは、なかなかしんどいことです。でも考えてみると、分からないはルノワールやモネだって同じで、ピカソに比べたら「何が描かれているのか」が分かるだけで、美術的な価値や作品としての良さが分かっているわけでもありません。

 それにしてもしかし、同じ人間として、一方にモネやピカソに深く感動できる人がいるのに、この「私」がまったく分からないのは、いかにも悔しいではありませんか。

 そう思って昔、この問題にかなり真剣に取り組んだことがあります。

 その結果、分かったことは二点です。

 �@美術史を中心に、若干の勉強をしなければならない。

 �Aとにかく一時に、大量の本物を見なければならない。

 特に�Aは重要で、大型の個人展を見に行くとその絵の価値は一発で分かります。

 「開運 お宝鑑定団」の中島誠之助さんによると、美術鑑定士たちは「良いもの」と「悪いもの」を比較しながら育ってくるのではないのだそうです。骨董商の子どもたちは、小さなときから一流の良いものしか見てきません。そうした「一流に慣れきった目」は、偽物は醜い色合いをもってくっきりと浮かび上がってくるのだそうです。

 学校で道徳を教える価値のひとつはそういうところにあります。

 放っておくと私たちは人々の「一流の生き方」を見過ごしてしまいます。世界の偉人のすばらしい生き方、国内外の市井の人の美しい生き方、友だちの品の良い行い、そうしたものは美術館の壁に絵を並べるように、きちんと整理して子どもの目に届くようにしないと、簡単には見えてこないのです。

 それと同時に、私たち自身が、子どもの前によき作品として(世界的なものではないにしても)、立っていることも必要でしょう。柔らかいものごし、美しい言葉。簡素で清潔な服装、あいさつがきちんとできること、生き方が厳しいこと、等々です。(私はできなかったので、みなさん、がんばってください)