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「教員採用試験特別免許枠の話」~教育原理や児童心理を学ばなくても、教科の専門知識があれば教師になれる

 教員の特別免許というのは、正規の教員養成カリキュラムを経ないまま、理科や社会科の専門知識・技能を持っているという理由で渡される免許です。
 もともとは高校の看護科に看護師を教員として迎え入れたり、農業科に農業指導員を、工業科にその筋の専門家を教員として配置するための免許でした。

 その特別免許制度を利用して、教員社会に積極的に民間人を入れようという動きがあります。採用枠の20〜50%を教員免許を持たぬ人々に割り振り、合格ののちに特別免許を与えるというものです。
 私はこれに反対します。

 ここ10年以上に渡って、教員採用は非常に限られた人数枠の中で行われてきました。一般には不景気だったから、と思われていたフシもありますが、基本は児童・生徒数減少にともなう教員の人数調整です。

 では毎年、必要数だけ採用していたかというとそうではなく、必要数よりはるかに少ない人数を採用し、不足分を講師で埋めていました。なぜなら、今必要な人数を満たしてしまうと数年後には確実に教員数があまってしまうので、それを見越して正規採用を減らしておいたのです。

 私の現在の勤務校にも5人の講師の先生がいて、本年度も採用試験を受けましたが、一人合格が精一杯でした。講師といえど私たちとまったく同じ仕事をしているわけですから、試験のため勉強の時間がないのです。もう5年も受けている、6年も受け続けているという猛者がたくさんいます。平成の難しい採用試験に挑戦し続けている人たちですから、かなり優秀な人たちですが、目の前の生徒のためにがんばるが故に合格できないというのは、いかにも気の毒です。

 また、学校の外にも、学習塾や一般企業からもたくさん人たちが採用試験を受け続けています。この人たちも燃えて教職に挑んでいるわけですから、大切にしなければなりません。潤沢に勉強の時間のある学生と同じフィールドで試験をさせるのは気の毒というものです。こう言う人たちのために、ぜひとも社会人枠というものは充実させなければなりません。

 しかし一方、私自身は自分が社会人から教職についた関係で、社会経験のない、大学からいきなり教職についた先生たちに対して、ある種のコンプレックスを持っています。それはその中に、小さなときから先生に憧れ、先生になるために教員養成学校を目差した初志貫徹型みたいな人がたくさんいるからです。彼らは長い年月をかけて、着々と教員になってきた人たちです。教職にずっと夢を持ち続けてきた人たちなのです。そんなふうに思いつめてきた人も、やはり大切にしなければなりません。

 私が社会人枠の拡大に不安を持つのは、こうした二種類の人々を押し退けて、理科や社会科の専門知識・技能を持っているというだけの理由で特別免許を渡された人たちが、採用枠のうちの20〜50%を持っていってしまうのが、現在考えられている民間時枠です。
 20%ならまだしも50%枠となると、教員免許を取るところからがんばってきた人は非常に不利になります。また、特別免許の人たちは道徳教育だとか、特別活動とか、心理学やカウンセリングの訓練をまったく受けずに教員になってくるのですから、震えるなという方がむりでしょう。

 特別免許の社会人枠の極端な拡大は、教育再生会議が言い出したことですが、再生会議はその名の通り、日本の教育は死んだというところから話をスタートさせています。

 その人たちから見れば、現職の教員ばかりでなく、現職と同じ養成過程を経てきた教員免許取得者も信用ならないということかもしれません。
専門の教育技術を学んできた人よりも、教科には詳しいが教育にはド素人であるような人に日本の未来を託そうとする、そのすさまじい絶望感、教師に対する不信感に、しばし呆然とします。
 ただし、その道で一流の人たちが、今の安月給で教員を目指すとはとても思えません。来るのは「その道」でも大成できなかった人ばかりかも知れません。

 そう言えば最近、大卒でありながら高卒と詐称したことがバレ、退職に追い込まれる公務員の話をしばしば聞きます。
 特別免許による民間人枠が置かれた暁には、教員免許を持ちながら持っていないことにして特別枠で受験する経歴詐称が蔓延するかもしれませんね。