子育てを楽しめる社会


 太宰治がどこかで「三歳児とじっくりつき合える男こそ一人前の男である」みたいなことを言っていました。

 私はそれを読んだ当時、子どもと果てしなく遊べるのは子どもだけだと思っていましたし、太宰はとても子どもっぽい人なので、自分のことを「これこそ大人だ」と言い張っているのだと思っていました。

 しかし長じてから分かったことは、子どもと果てしなく遊べるのはやはり本当の大人だけです。中学生くらいだと2〜3時間は楽しんで遊べても後が持ちません。自分が遊びたい盛りですから、人のために尽くしきるのは困難なのです。

 太宰はやはり子どもと遊べない人だったのです。

「子育てを楽しめる社会」

 それは、ひとつは家庭で過ごす時間が十分保証されていること、そしてもうひとつは、大人が大人であるような社会かと思います。

 子育てが嫌で嫌でしかたがない人たちは、よく見ているとみんな子どもです。

 自分自身がわがままで身勝手ですから、子どもとつき合っていることなどとてもできません。虐待する親たちもきっと同じです。自分自身が可愛い盛りですから、隣りにいる赤ん坊などちっとも可愛くないのです。

 ではどうしたら大人が大人らしくなりきれるのか?

 私は、どうしても

 政府や学校が市民の言うことを何でも聞こうとする態度を止めなくてはならないし、今のままですとまもなく行き詰って何らかの方策を打たなければならなくはずだと思っています。

 ケネディは就任演説で「国家が君たちに何をしてくれるのか問うのではなく、君たちが国家に対して何ができるかを問おう」といったことを言いました。

 国家というと少し道が逸れそうですが、これを社会と置き換えれば、日本でも受け入れられるかもしれません。

 社会が君たちに何をしてくれるのか問うのではなく、君たちが社会に対して何ができるかを問おう

 いずれにしろ私は、教師として自立的な強い子を育てたいと思っています。