教師の教育力


 公平に見て、私はそんなにダメな教師ではないと思います。しかし、真面目に本気でスーパーティーチャーを名乗っていいほど優秀でないことも、よく承知しています。

 よくある普通の教員ですが、経験の長い分、平均よりはもう少し良い仕事ができているのかもしれません(また、できなければいけないとも思っています)。何と言っても教職は職人芸ですから、普通に努力していれば、経験値が上がれば上がるほど、良い教師になっていくのが普通です。

 教職にはたくさんの側面があります。私は社会科の教員ですが、その中身だけでもとりあえず地理と歴史と公民があり、私は歴史と公民についてはそこそこの自信を持っていますが、いつまでたっても地理には自信が持てません。

 道徳は好きで、かなり楽しんで取り組んでいますが、総合的な学習の時間は毎回扱うことが違うので苦しみます。

 清掃指導は、恐らく私がもっとも自信を持っている分野ですが、給食指導はへたくそです。たぶん自分自身がいい加減な食事をしていたからでしょう。

 生徒を不登校にしない、という点では少々自信があります。

 けれど不登校の子を教室に引き戻し生き生きと生活させる、という点では他の教員と同じようなレベルにいます。不良行為・非行との勝負は望むところです。

 かつては暴力に及ぶこともありましたし、現在も大声を張り上げることが少なくありませんが、「誰も私を怖がらない」という点でとても損をしています。

 同僚には、ニコニコ笑っているとなお怖いという教員がいます。「ちょっと話を聞きたい」と別室へ呼び出すだけで、生徒が恐怖からベラベラ白状したりしますのでとても便利そうです。

 私は、なぜ生徒たちがその教師を怖がるのか分かりません。本人にも分からず、どこかで生徒と腹を割って話ができていないと嘆くのですが、いたしかたないところでしょう。

 私は子どもとの一対一の会話に結構自信を持っていますが、話し合いは下手です。

 さて、話し合いをさせることが特別に上手いという教師は、今もたくさんいます。しかし彼らの授業を見ても、なぜ生徒たちが次々と教師の願う発言をしてくれるのかは大変な謎で、カリスマにしかできないワザのようにも見えます。そして平均的な教師にとって、不用意な話し合いはいつも地獄への一里塚です。

 教師の指導力が落ちたと言うことに関して、私は条件付で賛成しても良いと思っています。条件付と言うのは、教師の平均的実力はかなり高まったのに、生徒がそれを超えて難しくなったため相対的には指導が追いつかなくなった、と考えるからです。

 私は教師の指導力が単純に落ちたとはとても思えません。特に平成不況の中で20倍〜30倍という競争率を勝ち抜いてきた教員はべらぼうに優秀です。また、私が教員になったころは4月1日に初めて出勤して、数日後には教壇に立っているという凄まじいスタートの切り方をさせられましたが、今は3月中に召集されて研修が始まり、余裕をもって新学期を始めることができます。

 さらに最初の二年間は大変な量の研修を受けさせられる上に、専任の教官がべたりと張り付いて指導をしてくれます。

 30年〜40年といった規模で考えると、その間に教育に関わるさまざまな研究が進み、その成果は学校内にもたらされています。教育情報も豊かになりました。つまり基本的に、教員の質が下がる要素はないのです。

 ただし、日本社会全体の動きとして、日本人が昔ほど働かなくなったとか、仕事に生活を捧げなくなったと言うことが本当なら、その枠内で、教員も仕事をしなくなったのかもしれません(時間的には、たぶん現在の方が働いています)。

 体罰指導力を下支えしていた、と考えれば、体罰がなくなった今はもちろん指導力は大いに低下しました。

私はそのように考えます。