昔、富岡の製糸工場(明治時代最初に創られた官営製糸工場)について調べていたとき、和田英という人に出会いました。「富岡日記」という本を書いた人です。
この人はまた「我母之躾」という記録を残していますが、幕末の高級な(といっても生活はたいしたことありませんが)地方武士の家で、どういう躾が行われていたか、それを調べる格好の材料です。
その一節に次のような文があります。
「子を育てるには、授乳の時期からだんだん仕込むようにしなくてはだめだ。
まだ小さいからといって、気ままにさせておいて、さあ大きくなったからといって、急に行儀だ言葉だとやかましく言っても、直るものではない。
あの植木を見なさい。小さい時からいつも気をつけて手を入れた木と、生えてきたまま自然にしておいた木と、どのくらい違いがあるかしれない。大きくなって枝を曲げたり切り込んだりしてみても、木が傷むばかりで、とても小さな時から手を入れた木のようにはならないものだ。
それと同じことで、はいはいをしない前から気をつけて教えていけば、ご本人は少しも難儀ともつらいとも思わずに、自然にいろいろ覚えるけれど、大きくなってしまってから急に行儀を教えると、本人は窮屈で苦しいものだから、人前ばかりで行儀をよくしても、人のいない所ですぐくずしてしまうので、とてもほんとうの躾はできない」
ここには「小さなときは自由にのびのびと、大きくなったらしっかりがんばってもらいたい」といった現代の子育てとはまったく異なったものがあります。
しかし、小さなころから躾けてもらって、美しく整えられた人間は、やはりうらやましいですね。