昨日の朝、いつものように靴をそろえていたら、6年生の女の子が二人、すうっと近づいてきて「先生、いつもありがとうございます」「私たちも手伝います」と言って半分ほどを手伝ってくれました。
なんと育ちのよい子たちなのでしょう?
そう言えば先週の土曜日、忘れ物を取りに来た母子があって玄関を開けてあげたら、中に入ってきた男の子がさっと腰をかがめて脱いだ靴を逆向きにし、そろえてから教室に向かいました。お母さんに「いつもこうなのですか?」とうかがうと、「靴だけは、いつもそろえるように言っています」とのこと。とても感心しました(たいていこういう家では「靴だけ」では済んでいないのすが)。
こういう言い方があります。
「すでに学歴社会は終わった。どこの大学を卒業したかで人生は決まらない。人生を決めるのは、どこの家に生まれたかだ」
なんだか身もふたもない話ですが、よい育ちをしている子とそうでない子を見比べると、ほんとうにそんな気もしてきます。
- 田舎道の赤信号をゆったりと停まって待てる家と、隙をみて突っ切れたと家族全員で喜ぶ家。
- 土曜日の夜を観劇やコンサートで心豊かにする家庭と、アミューズメントや居酒屋で社会勉強をさせている家庭。
- 日曜日のすがすがしい朝をビバルディの管弦楽とニュース番組ではじめる家と、とりあえず「朝」と呼べる時間には誰も起きていない家、
これで差がつかないとしたら神様が間違っています。
これこそ現代の家柄(家風)であって、私は自分の娘にいつも「家柄のよい家にお嫁に行きなさい」と話しています。
そしてときどき、学校の保護者にも、こういった話をしてプレッシャーをかけることにしています。