カイト・カフェ

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「喧嘩両成敗」~たいていの争いごとは、原因を探り始めたらきりがない

 喧嘩をしたら両者にペナルティというのは分かりやすい理屈です。しかし元来「喧嘩両成敗」というのはそういう意味ではありませんでした。

 そもそも「喧嘩」自体が「暴力を用いた係争」という意味ですから、どちらか一方が仕掛けた場合でも「喧嘩」となります。しかしそれでも両方を成敗するということ、つまり「喧嘩両成敗」とは喧嘩の被害者にも仕掛けた側と同等の責任をもたせるという意味なのです。

 もともとは戦国時代のような荒れた時期に、集団内部に係争の生まれる芽を摘もうとして分国法などの中に置かれたのが喧嘩両成敗でした。どんなにこちらが正しくても喧嘩をしたらおしまいだという意識は、確かに抗争を抑制するのに役立ったに違いありません。しかしそれが平時にも持ち越されたのには別の理由があったような気がします。

 それは、「たいていの争いごとは、原因を探り始めたらきりがない」という、極めて現実的な理由です。
 
 小学校の1年生など、楽しく遊んでいる最中に突然ボカッと殴ったりして何事かと思うと、一週間前に殴られたのを急に思い出して腹が立って仕返しをした、などということがあります。客観的に妥当かどうかは別にして、殴るには殴るだけの、それぞれの理由があるのです。

 お互いに原因を言い立てたらきりがないから、納得できないものも納得したことにして、平場からやり直そう、それを受け入れよう。
 難しいことです。しかしそれができるようになれば、かなりの問題が解決していくはずなのですが・・・。